いよいよシアトルからニューヨーク貿易センター跡地まで「広島の火」を運ぶピースウォークがはじまった。予定では1月15日〜5月12日までの4カ月をかけてアメリカ大陸横断を徒歩で横断する。日本山妙法寺成田道場で出会った戦う尼さん安田純さんを中心にアメリカインディアンを代表するトム・ダストウさんやNYタイムスに平和の広告を載せたきくちゆみさんなども参加する。オープン・ジャパン(もと神戸元気村)のメンバーから届いた、初日参加報告のメールを紹介しよう。
自由民権運動のマーチン・ルーサー・キング牧師の誕生日にあたる1月15日。この日シアトルは朝からどんよりした空模様で今にも雨が降りそうでした。ノリ・ハドルさん、きくちゆみさん一家とともに、港からフェリーに乗り郊外のベインブリッジ島まで30分。フェリーから降りて車で10分、シアトル市の名の由来にもなっている先住民族の聖地チーフ・シアトル墓地に着いたとき、大陸横断ピースウォークの出発式は始まっていました。地元テレビの取材チームがカメラを回していましたが、マスコミの扱いは静かなものでした。
会場は墓地の一角、20m四方のなだらかな傾斜面、枯れた芝生が生えている。そこに100人余りの人が大きな輪を作っていました。これは世界中の先住民族の儀式や会合でよく見かけるスタイルです。遅れての参加なのでなるべく邪魔にならないようにそっと輪に加わると、髪の毛を頭の後ろで束ねた恰幅のいい男性が「暴力は暴力しか生み出さないことを忘れてはいけない」とあいさつをしていました。それがメンバーの代表の一人トム・ダストウさんでした。
トム・ダストウさんはアメリカ先住民のリーダー的存在。1978年から合衆国在住の妙法寺尼僧・安田純さんとともに、東京から広島、長崎へのピースウォーク(2001年10月13日〜12月31日、<http://www.otsukimi.net/walk/>
)と今回の大陸横断ピースウォーク(2002年1月15日〜5月12日、<http://www.dharmawalk.org/>
)の実現に向けての企画で中心的役割を演じた人物です。
さて、日本やアメリカ、そして世界中に平和をもたらす祈りを捧げるはずのそのピースウォークは9月11日の事件以降アメリカでの実現が危ぶまれていました。特に、原爆の残り火「広島の火」(福岡県星野村が管理しているものを分けてもらった)の輸送には幾多の困難が付きまとったとのこと。幸い、大勢の善意とたくさんの小さな奇跡のおかげで今日の実現の日を迎えました。そう安田純さんは語りました。(メキシコ上陸からアメリカへの輸送秘話は、島田啓介さんのメール便りで読めます。<jkeisuke@f4.dion.ne.jp>
)
トムさんと純さんの発言の後、埼玉県飯能市在住の音楽家、黒坂黒太郎さんが紹介されました。黒坂さんは広島で被爆したエノキで作った木製の笛「コカリナ」を演奏し、その優しい音色で出発を祝福しました。(被爆エノキのコカリナについて
は<http://www.kocarina.net/hibaku.html>
)
5分ほどの準備の後、10時40分頃ピースウォークが始まりました。太鼓を叩きながら「ナンミョーホーレンゲーキョー」を唱えながら歩く日本山妙法寺の僧侶6人を先頭に総勢70人。参加届けなしの飛び入り参加は20人くらいでした。ノリ・ハドルさんと私も少々遅れて歩き始めました。子ども連れのきくちゆみさん一家は10マイル(16キロ)余りの行程の途中で合流する手筈を整えました。
コースは郊外の道、交通量は少なく緑の多いところなので歩きやすいというのが第
一印象。最初は最後列から150メートルほど遅れていましたが、日本で週末にやっているピースウォークより少し速い程度でしたから、5分くらいで難なく追いつきました。曇り気味で気温も低めでしたが、体はだんだん暖まってきました。列の後ろのほうには歩くのが苦手そうな当日参加者6〜7人がかたまりをつくっていました。とても気持ちのいい人たちで「当初は出発式だけ出るつもりだったけれど、平和を求めるポジティブできれいなエネルギーに誘われて急遽歩くことにした」と口々に言っていました。ただ、靴も歩くのには適したものではないので、30分(2キロ)くらい歩くと少しずつテンポの速まってきた先頭グループからは大きく遅れ始めました。その後ほどなく1人、2人と抜けていきました。
その中に、フェリーで知り合ったリズさんとジュリーさんもいました。二人はとても優しい中年の修道女。リズの誕生日に何か気持ちのよいことがしたくなって、このピースウォークに参加することにしたそうです。ゆみさんが子ども連れで平和活動を続けていることに感動していましたが、別れ際に急に「これをゆみに渡してほしい。おばあちゃんの形見なの」と言って、首からネックレスをはずしたのです。「でもそんな大事なもの・・・」という私たちにジュリーさんは次のように言いました。「物は物でしかない。この形見に託されたおばあちゃんの気持ちはしっかり受けとめている。おばあちゃんへの私の気持ちはこれがなくても変わらない。今度は、これからゆみが子ども連れで歩んでいく平和への長い道のり、それを祝福する私の気持ちをこのネックレスに込めたいの。」
ゆみさんは500メートル先の車の中でまなちゃんの世話をしていました。ネックレスを受け取り感動で涙を押さえきれずに子どもを抱きしめているゆみさんを後に、ノリさんと私は足早にウォークを続けました。途中で5分のトイレ休憩をした後はテンポが急に速まりました。夕暮れまでに目的地に着かなければならないからです。
このピースウォークには "Indymedia"の記者アンディさんと"Yes Magazine"のカメラマン・リンダさんが参加取材していました。どちらもオルターナティブ系としては定評のあるメディアです。上っ面をなでるような取材ではなくて、自分自身も体験して内側から臨場感あるレポートを送りたい。また一般のメディアではまじめに取り上げられることがないから、全米規模、世界規模のネットワークがある自分たちがやらなければいけないんだと、使命感に燃えています。ただ、速いテンポに遅れないようにしながらの取材はかなり大変そうでした。アンディさんはフィリピン系のアメリカ人、ペルー人の血もちょっと入っているそうですが、私はてっきり日本人かと思い、目があったとき日本語で話しかけてしまいました。何年くらいこの仕事をやっているのかと聞くと、数年間はコンピュータ・プログラムの仕事をしていたけれど、世の中の動き、マスコミ報道に納得できず、半年前に記者になったばかりとのこと。その直後9.11事件が起こったので、研修もそこそこに第一線に放り出されたようです。そのほか、彼の身の上について話を聞いていましたが、「これじゃ、どっちがジャーナリストかわからないね」と大笑いになり、私がインタビューを受けることになりました。
特に平和について日本人がどんなことを考えているのかと尋ねられたので次のように答えました。
「主力メディアで報道される偏った情報を信じている多くの人と、インターネット
を中心にそれ以外の情報を能動的に入手している人の間にかなり意識の差がある。でも、アフガン攻撃を避けられなかったと思い込まされている人でも、平和を強く求める心を秘めた人が多くいるので、流れがこれから変わっていく可能性はある。日本は平和憲法を持っているにもかかわらず、政府は米国への軍事支援を許す法律まで成立させ、今後に大きな問題を残している。」ここまで話したところで、憲法第9条が41ヶ国語でプリントされたスカーフを彼にプレゼントしました。これは「憲法9条を広める会」調布が企画販売しているもので、暮れのうちに大量に仕入れ、アメリカにはお
みやげ用に20枚ほど持っていきました。数種類のデザイン・色があるので彼が好きそうなものを見繕って渡すと感激していました。(アンディさんによるレポートは、<http://portland.indymedia.org:8081/>
で読むことができます)
こうした会話の間、左側には30分ほど標高600〜700メートルの山々を遠くに望む内海が広がっていました。時折、雲間から薄日が覗くだけで、空気は冷たいのですが、体内には心地よく淡い疲労感と温もりが広がっていきました。そうこうするうちに、ノリさんから背の高い30歳前後の日本人男性を紹介されました。彼は埼玉県在住の藤根さん。糸から布地染色、洋服完成品までをトータルにデザインする、服飾デザイナーだそうですが、今回は5月12日までの全行程を歩き抜くためにやってきたとのこと。
自分は平和運動といっても何ができるかもわからない。流暢に人を説得するアピール力もない。でも体を張って平和の願いを表現し、最後まで歩き通すことはできると思う。それを今のアメリカでやることに何か意義があるかもしれないと思って参加を決意した。藤根さんはこういった内容を言葉数少なくぽつりぽつりと話してくれました。もちろん、憲法第9条スカーフを彼にもプレゼントしました。
さて、40代、50代の参加者が目立つ中、中高生6人が平均年齢をぐっと押し下げてくれましたが、アニーさん(15)はハワイの平和イベントで安田純さんと出会い、その穏やかで揺るぎない姿勢に感動し、このウォークに参加しようと決心したそうです。
それから2週間あまりの間に、両親と学校を説得し、4ヶ月の行程すべてを歩くことを許されたのでした。「このウォークを歩ききった時、知識だけでなく人間的に大きくなっていると、私も家族も学校の先生も確信しています。お母さんも本当はいっしょに歩きたかったと、残念がっているくらいです。」理解のある周囲に見守られて、高校生にしてこんな経験ができるなんて幸せだなあと思いました。彼女はこの4ヶ月のかけがえのない体験を一生の糧にすることでしょう。(アニーさんの記事は<http://starbulletin.com/2002/01/12/features/story1.html>
を参照)
12時50分、ベインブリッジ島の軍人リクルートセンターの前に着き、参加者50名全員で輪が作られました。そこで平和の祈りが捧げられた後、初日ウォークのコーディネーター・ジェリーさんから、わずか2時間あまりで10キロ近く歩いてきたことが告げられました。そして、今日の参加者の自己紹介と抱負がアンディさんによって録音されました。(<http://sf.indymedia.org/uploads/1stdayintention.ram>で盛り上がっているその場の雰囲気を音として感じ取ってください)そして何という皮肉でしょ
う。軍人をリクルートするその建物のラウンジで平和を願うウォークの参加者が休憩と食事の場を提供してもらったのです。おにぎりや野菜・くだものを食べながら、いろいろな人としばしリラックスして歓談しました。全員にしっかりした一体感があるので、その場の雰囲気は疲れを癒してくれる不思議な力を持っているようでした。
食事が終わり外に出てから、"Yes Magazine"のカメラマン・リンダさんが全員の集合写真を何枚も撮った後、1時30分ウォーク再開。アンディさんとリンダさんはしばらくの間、相互にインタビューをし合っていました。そうこうするうちに先頭の僧侶集団に追いついてしまった私は暇そうに見えたのでしょうか、突然、太鼓を渡され、なぜか太鼓を叩き「ナンミョーホーレンゲーキョー」を唱えながら歩く羽目になってしまいました。これがなかなか難しいのです。太鼓だけ、あるいはお経だけなら、比較的楽にできるのですが、両方をタイミング良く歩くテンポに合わせられるようになるまでには15分以上かかりました。しかも痛み始めた足で午前以上のペースを保ちながら歩かなければなりません。周りからも歩くのが辛いという不満の声がちらほら聞こえてきました。
また、途中、けたたましい車の警笛や「パールハーバーを忘れられると思うのか」とか「こんな時に平和なんて卑怯なまねができるか」などという周りからの罵声に悩まされることもありました。かと思うと、逆に「平和の行進か。がんばれよな。」と応援してくれる人たちもいました。プラスの反応とマイナスの反応が2割ずつ、残りの6割は無関心というのが私の印象です。中には卵を投げつけてきた人もいましたが、誰にもあたりませんでした。概して予想したほどの妨害はなく、平穏のうちに歩き進むことができました。
ゆみさんがまなちゃんを背負って合流してから30分ほど経った3時頃、ある軍事施設の前で10分の休憩が入りました。そこで、リンダさんにワインカラーの9条スカーフを見せて「この色が好きじゃないですか」と話しかけました。「私の好みの色がなぜわかったの」という彼女の質問には直接答えずに、平和憲法の話をして、スカーフをプレゼントすると、すごく感激され、抱きつかれてしまいました。ただ、テロ対策特別措置法について話すと、表情を曇らせて「違憲裁判は起こらないの?」と問い正してきました。「違憲問題について議論する動きは各地で広がりを見せているけれども、まだ違憲裁判を起こすところまでは至っていない。まだ準備段階だ。」と答えると「絶対にがんばってほしい。私もこんなにすばらしい憲法を世界にアピールする手伝いがしたい。」と励まされました。(その間、私は気付かなかったのですが、懐炉に入った広島の火の温もりを感じてもらおうと、懐炉が何人もの参加者に手渡されたそうです。)リンダさんは"Yes
Magazine"のカメラマン・記者を務めるだけでなく、フリーライターとして取材・執筆活動も行っています。最近出たばかりの "GlobalUprising:
Stories from a New Generation of Activists." はあまりに評判になり、たった3ヶ月で第2版が出されることになったそうです。世界中の平和・人権に関する活動家のインタビュー記録をまとめたノンフィクションですが、フィクションより心を揺さぶる内容だと言われています。(詳しくは<www.globaluprising.net>を参照)
10分の休憩の後のウォークはきついものでした。人によっては強行軍そのものと感じて、「足の痛みを堪えながらなぜこんなに速く歩かなければいけないのか」と不平を漏らす人が後ろには何人もいたとアンディーさんがあとで教えてくれました。ちょうど同じ頃、私は最前列に近いところでお坊さんといっしょに相変わらず太鼓を叩きながら「ナンミョーホーレンゲーキョー」とやっていました。腕は疲れ、背中のリュックは肩にくい込み、足は靴擦れ。人と話す余裕はまったくない。それでも足は惰性で前に出ていくし、「ナンミョーホーレンゲーキョー」も体のどこからか出てくる。周りの世界は遠ざかり瞑想状態へどんどん入っていく。そしてお坊さんたちとの一体感を強く感じ始めました。ところがその次の瞬間、今度は逆に一種の違和感を感じました。急に自分の姿を外から眺めてしまい、この先頭集団が周りから切り離された異様な空間に感じられたのです。さきほどまであった後続集団との一体感も薄れていたし、今朝歩き始めたときに感じなかった仏教色のあまりの強さも気になりました。一歩一歩を踏みしめながら、意識を地球に向け、自分の内面と地球とを一体化させる「歩く瞑想」をする余裕がまったく失せているのも残念でした。
空が少しずつ暗くなってきました。排気ガスがひどく気になるほど交通量が多くなりました。道の先を見ると、警備員が何人もいる物々しいゲートが見えました。近づくとそこが、米国全体が保有する核弾頭の何分の一かが配備されているバンガー海軍潜水艦基地の入り口でした。一同とても重々しい気持ちになりました。事前に連絡してあったことを警備員に告げ、ゲート脇に集まって祈りを捧げる許可をもらい、基地に向かって皆で平和の願いを送り込みました。もちろん先頭に立っているのは相変わらず日本山妙法寺のお坊さんがたでしたが、今度は十字架を切って祈りを捧げる人、ただ手を合わせて黙祷する人、何かの言葉を唱えている人と、形はさまざまでした。
祈りは10分くらい続いたでしょうか。形はバラバラに見えるのに、平和を祈る気持ちで完全に一体化した、とても穏やかで力強いエネルギーが基地内に流れ込んでいくのが感じられました。それを見て、恥ずかしそうに逃げ去るような車があるかと思えば、スピードを落として興味深そうにゆっくり通り過ぎて行く車もありましたが、罵声に悩まされることはありませんでした。
祈りが終わると住宅街を抜けて今日最後の半マイル。夕暮れぎりぎりで、今日の目的地の「非暴力行動のためのグラウンド・ゼロ・センター」(Ground
Zero Center for Nonviolent Action)に着きました。最近、「グラウンド・ゼロ」という言葉は9.11で崩れ落ちたワールド・トレード・センター跡地を指すものとしてもっぱら使われますが、もともとは核爆弾で焼け野原になってしまったという、もっと恐ろしい場所を指すことばでした。冷戦時代、バンガー海軍潜水艦基地に配備された核ミサイルはソ連の数百カ所の軍事基地や大都市に向けられていました。また、ソ連側の数千に及ぶミサイルの多くはこの地に照準を合わせてあったとされます。「非暴力行動のためのグラウンド・ゼロ・センター」は1977年、バンガー海軍潜水艦基地に隣接した4エーカーの土地を買い取り設立され、全ての核爆弾の廃止と環境保護、究極の非暴力を実現することを目的に、具体的なアクションや広報啓蒙活動を続けています。
(詳しくは <http://www.gzcenter.org/> を参照)
近年、米国とロシアの関係は改善されたと言われていますが、それでも相互に照準を合わせていることを否定できないのが現状です。また、それぞれ標的の数が増えて米国とロシア以外の国々へとシフトしているとも言われます。さらに、9.11事件以降暴力を不可避のものとして容認する風潮が強まっているのは周知の通りです。このような状況の下で、このセンターの果たす役目はますます大きくなっている、その意味で日本山妙法寺との協力関係が深まっていることは喜ばしく、アメリカ大陸横断の今回のピース・ウォークも心から応援したい。そのように、センター主催者が説明してくれました。
最後に、安田純さんが今日のピースウォークの締め括りのことばを述べられましたが、その中で、ゆみさんと私がグローバル・ピース・キャンペーンのスタッフ代表として紹介されました。10月9日ニューヨーク・タイムズ紙の意見広告を皮切りに、11月11日のロサンジェルス・タイムズ紙、イタリアのスタンパ紙、ペルシャ語雑誌での意見広告へと広がり、現在はノリさんが中心になって「平和のためのグローバル・ストーリー」を世界中の人の協力で創り上げる企画を進めていることをゆみさんが説明しました。「平和を望む個々人の声がちょっとしたきっかけで束ねられると大きなうねりになる」と話すと大きな拍手が起こりました。
それから「グラウンド・ゼロ・センター」内に招き入れられ、用意された菜食料理を食べながら和やかに歓談していると、あっという間に1時間経ってしまいました。ここでは国籍や宗教を越えて平和を求めるという同じ目的で一日歩き通した同志の間の一体感のようなものがしっかりと確認できました。食事の後、何人もの人が、もう立ち上がれないと思ったようです。食事もせずにしばらく床に横になっている人も一人ではありませんでした。でも今日はたった10マイルあまり、明日からは14〜15マイル歩くとのこと。慣れればそれほど大変ではないと経験者は皆言いますが、楽な行程ではないことは確かです。これから全行程を歩き抜こうとする20人近くの人に対して敬意を表したいと思うとともに、道中の安全を祈りました。
7時過ぎ、ノリさんとゆみさん一家とともにフェリーまで戻りました。今日7時間かけて歩いたあの道のりも車だとたったの20分でした。そのあっけなさが、平和を壊すときの容易さを、そして7時間の行程が平和を築くときの地道な努力を象徴しているのではないか。寂しい船着き場の暗闇の中でフェリーを待ちながら、ふとそんなことを考えました。
(2002年節分。グローバルピースキャンペーン 今村 和宏)
追記)
1月16日以降、やはり嫌がらせを受けることもありましたが、盛大に歓迎されたり励まされたりする日もあり、2月2日現在、ピースウォークはオレゴン州を無事に進んでいるそうです。
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