下にいくほど新しくなっています

1 January(wed)
20
rhythmic lizard moon

 銀河新年!
  今年の干支は、ネアリカの毛糸になってくれる羊のカムイだ。
 ヨーロッパ、地中海沿岸から中央アジア、北アメリカなど、険しい山地や高山に住む羊は、人々に無限の恩恵を与えてきた。良質の毛や毛皮や肉をもたらしてくれる。遊牧民の間では感謝を込めて羊を神に捧げる儀式がつづいいる。
 大いなる恩恵、羊は美そのものだという評価「羊+大=美」が、美の字源だという。(「表象の芸術工学」工作社)
 ウイグル族の住む中国北西部を旅したとき、毎日が羊料理だった。うどんの中にはいっている羊の肉団子がシルクロードをつたい、中国で豆料理に変化し、日本で羊羹(ようかん)になったという。羊の肉団子と小豆の羊羹は似ても似つかぬものだが、同じ「羮」(あつもの)であり、「羊羹」には羊が3匹もいる。(「形の文化誌9」工作社)

  眠れないとき「羊が1匹、羊が2匹」と数えんのはイギリスが起源で、羊の「sheep」と眠るの「sleep」の語呂合わせだ。
  だから日本語でやってもだめ。日本語では「ねむる」や「ねむり」に近い動物名がない。
「1寝猿、2寝猿……1791寝猿、寝ざる。これだめ」
「1かたつむり、2かたつむり……2894 かたつむり、無理だー!」
 もう動物やめて、
「1ナムル、2ナムル……4369ナムル、ああ腹へった」
「1けむり、2けむり……7426けむり、これいいかも」
「じゃあ素敵な初夢を。7427けむり、7428けむり、7429けむり……」

2 January(thu)
21 rhythmic lizard moon

 とんでもねえ初夢見ちゃったよ。
 きのうあんなこと書いたからかな。
 内容は6日の初ネアリカで発表する。
 こんな夢を作品にしちゃったら、世界中からバッシングされちゃうくらいやばいぞ。

3 January(fri)
22 rhythmic lizard moon

 一日中ネアリカの下絵を描いていた。
 今回のサブテーマは「ケルト文化」である。
 なんか「ケルト」に感じちゃうんだよね。
 なんでだろ?
 ケルト民族は、BC2000年-1500年の青銅器時代からヨーロッパ各地に定着し、BC800年頃、ヨーロッパ初の鉄器文化(ハルシュタット文明・オーストリア)を築いた。
 キリスト教が生まれる500年前は、ケルト文化の絶頂期である。
 しかしヨーロッパ各地のケルト民族は、ローマ帝国などによって迫害される。
 「ガリア人」、「ガラティア人」と呼ばれ、高校の教科書で習ったシーザー(カエサル)の「ガリア戦記」もケルト人との戦いだし、新約聖書のパウロが書いた「ガラティア人への手紙」は、ほとんどがケルト人の教会へ宛てたものだ。
  BC700-500年頃からケルト人は、ブリテン島(現在のイギリスやスコットランド
)やアイルランドへ民族移動し、現在までその文化を継承している。(詳しくはこちら
 ケルトはローマみたいな統一国家を拒絶し、移動しつづける。その放浪性がオレに響いてくんだよなあ。くわしい歴史なんかなんも知らないのに、「ジプシーの起源はケルト」といわれると、皮膚感覚でうなずいちゃう。
 ケルトの渦巻き模様はアイヌ文様と恐ろしいほど似ている。宇宙観もそっくりだ。
 自然を神々として敬い、輪廻転生を信じていた。はるかな西の地にあるあの世「チル・ナ・ノグ(若さの国)」は、老いや病もない平和の国だ。これって「カムイモシリ」だよね。
 ストーンヘンジやドルメン(石組み)で、ドルイド僧(樫の木の賢者という意味)による火の儀式も、裁判でもめたすえ現代に復活した。
  秋田県大湯にあるストーンサークルや縄文の巨石文明は、どこかでケルトとつながっているとオレは直感する。
 現代ではエンヤの活躍によってケルト文化が再評価されている(ビョークもケルトの末裔だ)。
 ケルトの言葉「ゲール語」の歌や、多重に積み重ねられていくコーラスやリフレインは「ケルティック・スパイラル」と呼ばれる螺旋そのものだ。シンプルな歌詞と余韻を重視する音づくりは、リスナーのイマジネーションを羽ばたかせる。
 極論を言うと、
 「民族なんて幻」。
 時代時代をCTスキャンで輪切りにして、勝手に名前をつけただけのこと。
 でもなぜか惹かれる「時代」や「民族」ってあるだろ?
 それって前世とかのノスタルジーなんかな?
 わかんないけど、「螺旋」とか「石」とか「毛」、「リフレイン」とか「つながり」に心惹かれる今日この頃である。

4 January(sat)
23 rhythmic lizard moon

 ネアリカンのさくらいあきこちゃんが、骨折した。
 誕生日をアンコールワットで祝おうと、2週間の休みをやっとのことでとったら、雪の日にチャリでこけて全治8週間の足骨折。
 がはは、思わず「骨折おめでとう!」と返事を書いた。
 病気やけがは贈り物である。
 なにもしないでごろごろしてるなんて、贅沢そのものじゃん。
 外部刺激が断たれると、意識が内側にむく。
 哲学的命題を考えるわけじゃなく、
  日々の反省をするわけじゃなく、
 ぼんやりと、
 ただぼんやりと今日に浮かんでいる。
 空間の座標軸は雪に埋もれ、
 時間の座標軸は風にイレースされる。
 虚空にただよう自分。
 英語で「私」を意味する「I」が、
  小文字の「i」になり、
 「1」も引いて、
 「・」になる。
 いつの日にか必ず「 」になるその日まで。
 ぼんやりと、
 ただぼんやりと今日に浮かんでいる。

 小学校の授業でよくしかられた。
 「なに、ぼんやりしてんの!」
 今から思えば、オレにとって「授業」は「瞑想」タイムだった。
 作家とかやってるくせに、学校の成績は最低なのよ。
 ぼんやりと、
 ただぼんやりと今日に浮かんでいる。

 なんで、ぼんやりしちゃいけないの?
 「ぼんやりタイム」 には、
  しょーもないアイディアと、
  とんでもないアイディアが降ってくる。
 だって満員電車に、
  神はのってこないだろ?
 人類の進化はすべて、
 「たなぼた」の、
 「ぼんやりタイム」 から生まれてきた。
 「ぼんやりタイム」を軽蔑する人は、
  働き蟻で終わっちゃうぜ。
 それもいいけど。
 ぼんやりと、
 ただぼんやりと今日に浮かんでいる。

 自分を空っぽにして、
 役を放棄して、
 仮面をのっぺらぼうにして、
 すべてをアルツって、

 犬も棒に当たる。

6 January(mon)
24 rhythmic lizard moon

 「ネア初め」(ねあぞめ)と言おうか、「貼り初め」(はりぞめ)と言おうか。
 初ネアリカンは、12回目のとっちゃん、4回目の瑞穂ちゃん、3回目のジュンジュン、2回目の亜季子ちゃんだ。
 お待たせしました最新作は、「羊のカムイ」でーす。
 まさか干支でくるとは思わなかったでしょ?
 ケルトの十字架にかけられた3つの顔をもつ羊の手から流れ落ちた血を羽をはやした生首が飲み、腹からは無数の花が吹き出している。
 オレはなにも考えずにこの絵を描いたのに、あとからさまざまな関連性が解き明かされる。
  瑞穂ちゃんが図書館から借りてきた「十字架と渦巻」大和岩雄に、いきなり「羊と十字架」の図像が4つのっていた。キリスト=牧童と人々=羊として、この組み合わせは3世紀頃から頻繁に描かれてきたという。しかし「十字架にかけられた羊」は、キリスト教2000年の歴史でも例がなく、この絵が世界唯一だ。
 キリスト教圏の人が見たら怒りだすかも知れない。神がかけられるべき場所に迷える民衆の象徴である羊がいるからだ。
 言い訳をさせてもらうと、何千年もの間無言で人間に恩恵を与えつづけてきた羊たちを祝福したかった。寡黙に働き、抗議ひとつせず、迷いつつも賢明に生きている人間も、祝福したかった。
 救いは、十字架がキリスト教以前のケルトの「円環する十字架」だということ。
 ケルト人は二月から四月に「インヴォルグ」という祭りを祝う。
 羊の分娩、子羊の授乳の時期で、三位一体の神「ブリギド」にささげられる。ブリギドは三つの顔を持っていて、治癒(医学)、詞藻(芸術)、鍛冶(テクノロジー)を司る。
  詩人はブリギドを芸術の源泉として、母親は安産を祈願したという。(参考文献「ケルト神話」
 十字架はキリスト教だけの特許ではない。
 縄文時代の十字架形土偶(三内丸山遺跡出土)をはじめ、あらゆる文化圏でつくられている。古代において十字架は、大地母神の象徴だった。
 農耕がはじまってからも、豊穣の女神である大地母神がかかし(十字架にかけられた人形)として畑を守った。
  古代ギリシャでは大地母神ヘカテ(=ダイアナ)は冥界の神でもあり、十字路にあらわれる。十字路には、羊(以前は幼児)が生け贄に捧げられた。
  ユダヤ教の過越(すぎこし)の祭りには子羊が生け贄として捧げられるが、「出エジプト記」には初子の男子が生け贄となった。
 イエスは羊飼いの少年のイメージで描かれるが、これも幼児生け贄の名残だという。
 話が暗くなったが、これも現代人と古代人の生死観のちがいである。
 縄文人やケルト人が執拗に渦巻きや螺旋にこだわったのは、生と死を「連続する円環運動」とみていたからである。
 仏教やヒンドゥー教でさえも、輪廻を「因果応報」や「自業自得」の脅し合戦(たぶんブッダの言葉をはきちがえたのだろう)ととらえているところがあって、縄文人やケルト人のおおらかさにはおよばない。
 古代ギリシャ人はあの世を「闇の国」、古代ローマ人は「青白い冥府」と、ネガネガな世界だ。
 ケルトは明るいよお。
 彼方にある「チル・ナ・ノグ(若さの国)」は、食べ物や平和に満ちた天国だ。彼らの発想に地獄なんていうしみったれたもんなんぞない。生と死は連続していて、とぎれないのだ。あの世でも別の生活があって、おもしろおかしく生きている。
 ここで重要なのは、「GOOD」(=光)と「BAD」(=闇)にわけない。
 「GOOD」は「BAD」 を内包し、「BAD」 は「GOOD」を内包する。
  「十字架と渦巻」の著者は、「十字形(十字架)は、カオス(渦巻き)を内包したコスモスである」 という。
 オレは「渦巻き(螺旋)は、十字架(秩序)を、内包したコスモスである」と思う。
 同じこと言ってんのかな?
 「万葉集」の18巻には、田道間守(たじまもり)が常世の国へいって「ときじく(一年中なる)のかぐの木の実」をとってくる話があるし、アイヌの「カムイモシリ」の伝統がうかがえる。
 「常世」っていうのは、オレたちの日常のうしろに「常に」流れている。
  あの世とこの世、
  生と死、
  覚醒と夢、
  秩序と混沌、
  性と聖とかは、
  断ち切っても、断ち切っても、連続してつながっているのか?
 しょうがない、あきらめるか。
 とりあえず、不細工な今日を生きることにしよう。

7 January(tue)
25 rhythmic lizard moon

 からくり半蔵は十字架の根本にあるケルト模様を貼りあげ、ジュンジュンはぜんぶ異なった70個の花を完成させた。(このなかにひとつだけマグロの寿司が隠されているが、実物を見ないとわからない)
  7回目の三智は羊の襟巻きを貼り、6回目の文ちゃんはケルト模様のバックを貼ってくれた。
 今度もかなりのスピードで完成しそうだ。

 それにしても「十字架と渦巻」大和岩雄(白水社)は、むっちゃおもしろい。3000円もするのに、アマゾンコムで注文してしまった。
 著者は十字架とセックスの関係を膨大な文献から読みほどいていく。
 古代において死は大地母神の子宮に還る祝祭であり、「死んで母と結ばれる」SEXととらえられてきた。
 オレは「ええじゃないか」という曲のなかで、

 オレは母さん犯してえ
 かつていた子宮にもどりてえ

 というフレーズをなんとなく書いた。(べつに近親相姦願望はない)
 ジョルジュ・バタイユのいう「SEXは小さな死」というは、エクスタシーの絶頂に「イクー(逝く)!」という言葉そのものだ。
  十字架の縦線は屹立する男根であり、横線は大地という子宮だ。
  男と女、生と死、異なるベクトルが交差する十字架は、異界への出入口であり、死をのみこみ生を産みだす子宮である。
 こうやって説明してくれるとうれしいよなあ。
 作品が偉くなった気になる。
 だいたい「羊のカムイ」だって初夢で見ただけだし、作者はなーんも考えないで創ってるのよ。意味なんてぜんぶ後づけなんだから。
 こうして20年以上も作品をつくりつづけられるコツは、なーんも考えないこと。
 芸術論やコンセプトにからめとられると、身動きできなくなっちゃう。
 価値とか意味とかは、誰かが勝手に解釈してくれるもんだから。
 この世のしがらみは置いといて、
 創作っていう空き地で遊ぶときは、
 バカに還ろ。

8 January(wed)
26 rhythmic lizard moon

 今日のネアリカンは、栃木県南部からきてくれた、ちーぼー(初参加)だ。
 ちーぼーはジャスコの食品売り場のレジで働きながら、通信制大学で学び、哲学のサークルで発表し、自分のホームページも運営し、ネアリカまできちゃういそがしぶりである。
 「こちら半額になりまーす」と笑顔でレジを打つおねえさんが哲学してるとは、知らなかった。
「ちーぼーは、どんなテーマで発表したの?」
「ええと、『遊びと労働』です」
「やっぱ遊びといえば、『ホモ・ルーデンス(遊ぶ人間)』を書いたオランダの碩学ホイジンジャーだよね」
「あのう……ホイジンガです」
「じゃあ『遊びと人間』を書いたフランスの哲学者ロジェ・カイワレは?」
「……カイヨワです」
「さすが食品売り場!」

 「遊び」ってなんだろう?
 ホイジンガは1938年に出版された『ホモ・ルーデンス(遊ぶ人間)』(高橋英夫訳、中公文庫、1973年) で、「遊びは文化よりも古い」と言い切っている。
 遊びは文化の幼稚な段階なんかじゃなく、遊びが文化を生み、進化の原動力だと言う。
 それもむっちゃ博学な資料を緻密に検証し、トランス状態の直感で、「すべて遊びなり」と豪語しちゃう。
「遊びはものを結びつけ、また解き放つのである。それはわれわれを虜にし、また呪縛する。それはわれわれを魅惑する。すなわち遊びは、人間がさまざまの事象の中に認めて言い表すことのできる性質のうち、最も高貴な二つの性質によって満たされている。リズムとハーモニーがそれである」
 大好きだぜ、「ほい、ジンジャー(しょうが)」 。
 
 カイヨワは1958年に出版された『遊びと人間』(講談社学術文庫。多田道太郎、塚崎幹夫訳)のなかで「遊び」を6つに
定義した。

自由 遊戯者が強制されないこと。もし強制されれば、遊びはたちまち魅力的な愉快な楽しみの性格を失ってしまう。
隔離 あらかじめ決められた明確な空間と時間の範囲内に制限されていること
未確定 ゲームの展開が決定されていたり、先に結果が分かっていたりしてはならない。創意の必要があるのだから、ある種の自由がかならず遊戯者の側に残されていなくてはならない
非生産的 財産も富も、いかなる種類の新要素も作り出さないこと。遊戯者間での所有権の移動をのぞいて、勝負開始時と同じ状態に帰着する
規則 約束ごとに従う活動。この約束事は通常法規を停止し、一時的に新しい法を確立する。そしてこの法だけが通用する
虚構 日常生活と対比した場合、二次的な現実、または明白に非現実であるという特殊な意識を伴っていること

 ホイジンガは遊びの動機を「競争」「模擬」という2つ分けたが、カイヨワは4つに分類した。

競争(アゴン) スポーツ、ケンカ 企業間競争、受験、コンクール 暴力、権力意志、術策
運(アレア) 宝くじ、競馬、カジノ 株式投機 迷信、占星術
模擬(ミミクリー) 演劇、映画、スター崇拝、制服、礼儀作法、儀式 狂気、二重人格
眩暈(イリンクス) 登山、スキー、車 空中ブランコ乗り、空軍士官 アルコール中毒、麻薬

「ほい、ジンジャー」の情熱も、「カイワレ」の株分けも、すばらしい。
 そこで オレの強引な珍説を言わせてほしい。
 「遊びは、抑圧されたシャーマニズムだ」(またそこへもっていくのかよと言われそう)
 人類発生以来7000000年間もつづいてきた世界最大最長の宗教が、一神教の発生以来2000年、産業革命以来200年、抑圧されてきた。
  「魔法」、「超能力」、「オカルト」、「妖怪」などへの渇望は、「ハリー・ポッター」や「ロード・オブ・ザ・リング」や「千と千尋の神隠し」に噴出している。
 論理や科学で説明できない快感の根元にあるのが、「遊び」だ。
  現実のイジメから逃れ(自由)、魔法学校ホグワーツ(隔離=規則)にはいったハリーは、クイディッチ (競争)で勝ち(運=未確定)、魔法使いのテクニックを学び(模倣)、裏側の世界(虚構)に生きがい(眩暈)を見いだす。
 シャーマンは、患者を肉体から連れだし(自由)、精霊の世界(隔離=規則)
にはいる。呪いをかけた敵と対峙し(競争)、自然界の力にたより(運=未確定)、とり憑いた精霊を再演し(模倣)、神々(虚構)から治癒力(眩暈)をもらう。

 「遊び」が先か、「シャーマニズム(=宗教)」が先かは、ニワトリと卵のイタチごっこだろう。
 現在50人以上のネアリカンが2メートルのキャンバスのうえで遊んでいるが、ホイジンガの言葉でしめくくろう。

 「その外形から観察したとき、われわれは遊びを総括して、それは「本気でそうしている」のではないもの、日常生活の外にあると感じられているものだが、それにもかかわらず遊んでいる人を心の底まですっかり捉えてしまうことも可能なひとつの自由な行動である、と呼ぶことができる。この行為はどんな物質的利害関係とも結びつかず、それからは何の利益も得られることはない。それは規定された時間と空間のなかで決められた規則に従い、秩序正しく進行する」

10 January(fri)
1 resonant monkey moon

 マヤ暦では今日から「共振の月」にはいる。
 シンボルは、「猿」。
 テーマは、「自分の奉仕を他の人にも合わせるには?」。
 キーワードは、「Attunement=調律」、「Channel=通す」、「Inspire=呼び起こす」。
 アドバイスは、「自分の選択した行動にベストを尽くす。理想に向かって身をもって挑戦していく姿が、周囲の人の心に共感を呼び起こし、相手の協力を引き出していく」。

  おおー、今の状況にぴったりだねえ。ますますシンクロもふえ、ネアリカの輪が広がっていきそうだ。
 とか思っていたときに手紙が届いた。「ネアリカ大賞」に輝いた京都の美和ちゃんからだ。いつもはメールなのに手紙なんてはじめてだ。
 開けてびっくり玉手箱。
 24種類ものケルト模様のコピーがでてきた。
年末の休みに会社の人がイギリスみやげに買ってきてくれたシールだという。その人は「美和ちゃんのおみやげはこれしかない」と直感したそうだ。1月6日の初出勤でわたされ、そのまま会社のパソコンでakiramaniaをひらくと、ケルト模様の「羊のカムイ」! 腰を抜かすほど驚くのもむりもないタイミングだ。

 10代の子が送ってくれた漫画「SEED(シード=種)」を2日間かけて全10巻読破してしまった。
  風采のあがらぬ癒し系主人公森野広が農業コンサルタントとして世界のさまざまな問題を解決していく。彼がバブル時代にヴェトナムにつくったダムが洪水を引き起こし、たくさんの人の命を奪った。彼は会社を辞め放浪の旅に出、アマゾンのインディオなどから自然と共生する知恵を学ぶ。
 彼の最強の武器は「シード・ボール」と呼ばれる。植物の種のまわりを粘土で固めた団子で、自然農法の救世主福岡正信さんの「粘土団子」がモデルだ。(2001年8月7日(火)の日記を参照
 原作のラデック・鯨井さんの膨大な知識と絶妙のストーリーテリングもすごいし、絵の本庄孝敬のリアリスティックな絵も美しい。環境問題につきまとういわゆる説教臭さが主人公のキャラによって最小限似おさえこまれているし、完成度も高いので、ついついつり込まれてしまう。これなら小学校の高学年からお年寄りまで勧められる。本も読まずに政治家を目指すオレの妹の旦那にも漫画なら読ませることができるし。
 環境問題をウザいなんて言ってるの、おやじだぜえ。
 10代の連中のほうが差し迫る未来を真剣に考えはじめている。

11 January(sat)
2 resonant monkey moon

 今朝、退院して自宅にもどったネアリカンの明子さんから電話があった。
 謎の腫瘍の検査結果がでたのよ。
 答えは?
 「病名不明」。
 一時は病名が「ガン」から「結核」に変わったことにより、 院内感染を防ぐため明子さんの大部屋をはじめ病院中を消毒しなきゃの大騒ぎになったが、結核菌が検出されない。
 結核は誤診ということになり、毎日肺ガン患者を3人も手術している名医が頭をかきむしったという。
 明子さんは必死に笑いをこらえて「祈りの力ってすごい」と実感した。
 ネアリカンからの大量メールがとどいてから、体がほてって、自分でもコントロールできないくらい元気がみなぎってきた。担当医も首をひねり、手術直前にもう一度MTスキャンを撮るという異例の処置をした。
 それでもスケジュールは決まっていたので、いざ腫瘍を切って取ってみたら、この結果。
 サラ金地獄にあえいでた人が年末ジャンボ宝くじを当てたようなもんだ。
 しかも明子さんは、「羊」年生まれなんだって。

 今日のネアリカンは、12回目のとっちゃん、初参加の由起ちゃんと依里子ちゃんだ。
 依里子ちゃんは京都から夜行バスで来てくれた。なんと由起ちゃんは3月から京都に引っ越し、陶芸を学ぶという。京都には誰も知り合いがいなくて不安だったこのタイミングに依里子ちゃんと出会うとは! 
 依里子ちゃんは「おとくに竹あそび」という活動をしている。(お得にじゃないぞ)竹林保護のため、竹切りや枝はらいなどをおこない、間引いた竹に水をいれろうそくを浮かべる。6000本のろうそくが竹林を幽玄に浮かびあがらせ、竹でつくった太鼓が演奏される。10年前から長岡京市の光明寺ではじめられたこのイベントは、今では3000人もの観客を動員する一大行事に成長した。
 竹太筒(=太鼓)はチェコやメキシコにも招待され、演奏してきたという。
 「竹あそび」のメンバーには、由起ちゃんがこれから通う学校の卒業生がいるというのもシンクロだな。
 ネアリカをはじめてから、目に見えない蜘蛛の糸がどんどんつながってくる。
 それは、インターネットを越えた次世代の「インナーネット」(星川淳) なのかなあ。

12 January(sun)
3 resonant monkey moon

 キッチンから異様な声が聞こえたのでそっとのぞくと、コマ(=イル・クオーモ=駒沢さん)とよその猫がにらみあっていた。
  この猫はうちのえさを狙ってあがりこんでくる。オレは他人の猫にえさを食われようが気にしないので放っておいたら、飼い主にまかせておけないと猫本人たちが立ち上がった。うちのコマは16歳(人間で96歳)の老猫で臆病だ。その駒沢さんが、灰色の毛並みもつややかな若者(優雅な灰色なんでグレース=呉石)とにらみあってる。全身を振るわせ、人間の赤ん坊のような声で威嚇し合う。

 人から聞いた話だが、猫がゴロゴロとのどを鳴らすのは、「気持ちいいとき」、「傷を負ったとき」、そして「戦うとき」だそうだ。
 振動によって全身を「微骨折」させている。
 トイレのドアをノックするときも、スポーツするときも、われわれは「微骨折」している。それが骨を強化する。猫は犬みたいに走り回らず、眠ったままゴロゴロと「微骨折」で骨を鍛えているから、「キャット空中3回転」でも骨折しないらしい。
 何という合理的な、なまけものの知恵だ。
 実際「微骨折」は、スポーツ選手などの骨折治療などにも応用されていて、患者に一定の振動を与えることによって治療期間を半減できる。ベッカムは「微骨折治療」によって早期復帰を果たした。
 マッサージ椅子とかの効用は「微骨折」にあったのだな。深読みすれば、大人のおもちゃのバイブレーターの快感も猫のゴロゴロにつうじているのかも知れない(未確認)。
 なでると気持ちよさそうにのどを鳴らす猫が、 骨格強化運動をおこなっているとは知らなかった。
 この話を聞いて以来、猫をなでるまえに号令をかける。
「ネコロビクスはじめます!」
 
 巌流島の決闘から脇道にそれてしまった。
 老人と若者は縄張りをめぐり、「微骨折」の戦いをくりひろげている。
「き、君、他人のえさを盗み食いするとはけしからんぞ」と駒沢人事部長。
「だまりやがれ老いぼれ野郎、この世は弱肉強食だ。そこをどかないと痛い目に遭うぜ」と山猫組若頭の呉石徹。
 どうみても駒沢部長に勝ち目はない。
 オレはおもむろに輪ゴムをとってきて、すきまから呉石徹のひたいを狙う。オレの小学校からの特技は「輪ゴム射撃」だ。
 ピシッ!
 緊張の頂点にいた呉石徹は驚きのあまり、1メートルくらい(ほんとは30センチくらいだろう)ジャンプした。臆病な駒沢部長も逃げると思いきや、着地の体勢を崩した呉石徹に6本指のドラえもんパーンチ!
 スローモーションで中空に舞う体毛とは対照的に、呉石徹はいちもくさんに逃げていった。
 ……駒沢人事部長、
 許してください。
 今まであなたを一日中窓際で眠っているなまけもと思っていた。
 やるときはやる「勇者」だったんですね。
 トトチョフもそうだったし、君のお父さんも駒沢部長タイプかも。

13 January(mon)
4 resonant monkey moon

 今日のネアリカンは5回目のベテラン瑞穂ちゃんと、初参加のビコとネオ父子だ。
 ビコ父ちゃんはかつて6年間フランスに住み、 オレと同じヘロインジャンキーだった(とっくに足は洗ってます)。現在は、舞踏から発展させた踊り、ヴォイス、即興詩、ヴォイスパフォーマンス、などをミックスした「ビコ劇場」なるエンターテイメントをおこなっている。
 しかも来週から3ヶ月、アヤワスカをもとめてアマゾンへ旅出つ。オレは、ドイツ製の蚊帳やうしろにチャックの着いた金隠しベルトなどを貸し、あらん限りの情報を提供した。3ヶ月後の報告が楽しみだねえ。
 その娘、10歳になるネオちゃんは最年少の参加だ。
 幼稚園で絵を教えている瑞穂ちゃんとも息はぴったりで、ネオちゃんは左上の黒いバックをやってくれた。お父さん顔負けの正確さで毛糸を貼り、ビデオを撮り、花の数をカウンターで数え、マルチな活躍をしてくれる。ちなみに花の数は120個もあった。(ジュンジュンすごいぜ!)
 ネオちゃんは5歳くらいまで「シャーマン」だった。
 ハリウッド映画「6センス」のように見えないものを見る能力を備えていたのだ。中空を指さし「おじいさんがきてる」とか、仲良しの精霊と話しこんだり、恐い霊がくるととたんに泣き出す。
 たぶんこういう能力はすべての子どもがもっているんだろうが、両親が「バカなこと言うんじゃありません!」とか「ウソをついちゃだめよ」とか否定するんで、失われていくんだろう。
 ただネオちゃんの場合はラッキーだった。
 「壁のところに恐い人がいる!」とかいうと、両親は「ええっ!」とそのとおり信じ、娘を抱きかかえて逃げる。そんな両親(世間的にはバカ親)に育てられたから、豊かな感性が育まれたのだ。
  だって父ちゃん、妻と子を残してアマゾンいっちゃうし、温泉に飛び込んだまま1分間も浮き上がってこないし。
 親がバカやればやるほど、子どもの自由度が広がるってのを世間の親は忘れてる。
 「自分が我慢したんだから、あんたも我慢しなさい」じゃなく、
 「自分が自由にやってきたんだから、あんたも自由にやりなさい」のほうが、
  まっとうな教育だと思わない?
 うえから押しつけんじゃなくて、
  対等に張り合って遊ぶこと。
 するとお互いが響き合う。
 もう「教育」なんて言葉捨てて、
 「響育」に変えようぜ。
 アイヌ語の「ウレシパ・モシリ」の意味は、
 人間も植物も動物もすべてが、
  「育み合う大地」だ。

14 January(tue)
5
resonant monkey moon

 
  いちばん好きな色って何色?
 ぜんぶ好き。
  でも、
  赤。

15 January(wed)
6
resonant monkey moon

 
 今日のネアリカンは、大阪から4回目の香奈ちゃんと栃木から2回目のちーぼーだ。
 「ぐるぐる使い」香奈ちゃんは、超絶技巧で羽のはえた生首を貼ってくれた。
 「レジの哲学者」ちーぼーは、羊にズボンをはかせてくれた。
「わたしの宝物を見てください」とちーぼーが不思議なものをだしはじめた。

 

 左の上下は、なんとイルカの耳骨だって!
 しかも縄文時代に人間によって食べられたイルカの骨が今、千葉の館山に流れ着いたそうだ。
 真ん中の直径15センチほどの石灰物質は、「スカシカシパン」という。「透かし菓子パン」などという名前もふざけているし、どう見ても人工物にしか見えない。右の上下はトゲのとれたウニの殻だが、スカシカシパンもウニの仲間だそうだ。

 しかし「宝物」って言葉、いいよなあ。
 子どもの頃は誰でも 「宝物」をもっていた。
 蝉の抜け殻とか、ジュースの栓とか、ネジとか、
  他人から見たらどんなにくだらないものでも、「わたしの宝物」、「ぼくの宝物」なんだ。
 オレたちはいつから、なにと引き替えに、「宝物」をなくしてしまったのだろう。
 「宝物」とは、「夢見る力」だ。
 子どもや先住民が見えないものを見る想像力だ。
 友人の息子(10歳)は、消しゴムのかすをフィルムケースに集め、なぜか冷蔵庫で冷やしている。 オレもフィルムケースに自分の爪を集めていると言うと、尊敬のまなざしをむけ、貴重なアドバイスをくれた。
「冷やした方がいいよ」

16 January(thu)
7
resonant monkey moon

 今日のネアリカンは、2個の飛ぶ生首を制作した香奈ちゃんと、羊の手足を恐るべきスピードで完成させてしまったエミさんだ。
 エミさんの貼るスピードは尋常じゃない。もし「ネアリカ五輪」とかあったら、短距離走の金メダルはまちがいない。
 エミさんはふたりの息子をもつ主婦で、アロマセラピーの勉強をしている。将来は自宅でサロンを開く予定だ。
 子ども部屋の2段ベッドを直していたら、中2になる長男の布団のしたからエロ本を発見した。
 これはもう「お約束ごと」と知りつつも、やはり「お約束ごと」のようにうろたえたという。
 オレも中学では「エロ本図書館」の館長を務め、男子諸君に新鮮なエロがいきわたるように、回覧のネットワークづくりに尽力した。
 押入の天井に隠したエロ本が重みに耐えきれず落ちてきて、ババチョフに見つかったエピソードがある。きっとババチョフも 「お約束ごと」のようにうろたえたのだろう。
 罪と悪徳に満ちた性教育を子どもたちに押しつけちゃいけない。
 ここ20年ほどで性科学は急速に進展し、オレたちが受けてきた性教育はぜんぶウソっぱちで役に立たない。
  お父さんもお母さんも、説教するまえに勉強しないと。(参考文献 「精子戦争」 ロビン・ベイカー。 河出書房新社。「セックス&ブレイン」 ジョー・ダーデンスミス。ダイアン・シモーヌ。工作舎。「BCな話」竹内久美子。 新潮文庫。「男と女の進化論」 竹内久美子 新潮文庫)

 男のオナニーは、精子の鮮度を保つため。
 女のオナニーは、膣内を消毒するため。

 健康のために不可欠な行為であり、まっとうな義務なんだ。
 息子のエロ本を見つけたとき、むしろ喜ぶべきだろう。
 「私たちの遺伝子を、この子は次世代に伝える努力をしているのね」と、なでなでしてやらねば。
 ついでに、お父さんが読み終えた週刊宝石のヌードグラビアとかを息子の枕にすべりこませたり、臨場感あふれるAVを堪能してもらうために数十万もするドルビーサウンド付きのプロジェクターを誕生日にプレゼントするのもいい。
 犬がよく人間の足に性器をこすりつける場面はギャグの対象にされるが、豚やネズミやリスやヤマアラシだってオナニーする。
 オレも95年にオナニーをテーマとした「クリネックス天使の歌」という作品を発表したが、明るくオナニーを語ろうぜ。
 最後につけくわえると、「罪」という無意味な概念を人間がわざわざつくりだしたことにも意味がある。
  「禁を破る」というバーチャルリアリティーが、脳内麻薬とともに精子や子宮を活性化させるのだという。

17 January(fri)
8
resonant monkey moon

 男性器がキノコ形なのは、まえの男の精液を掻き出すシャベルの役割をするためだという。
 類人猿のはこんな形してないし、1年じゅう発情する人類はきびしい「精子戦争(Sperm Wars )」を勝ち抜かねばならない。
 精子には3つの種類がある。
 約1億匹の「ブロッカー(守り屋)」は、あとからくる他人の精子を妨げる。古い精子がこの役目を演じることが多いが、精子の形も様々である。頭が3つも4つもあったり、腰が曲がっていたり、尻尾が3本もあるやつや、コイル状になっている者もいる。2匹並んでブロックしたり、何匹かが尻尾をからめてネットをつくり通せんぼをしたりする。
 約5億匹の 「キラー(殺し屋) 」と約百万匹「エッグゲッター(卵獲得者)」は若く、標準的なオタマジャクシ形をしている。
  「キラー」はほかの精子に出会うと、相手の頭にある化学物質をチェックする。敵だとわかると、相手の頭の横にある弱い部分に頭突きをくりかえし、腐食性の毒を注ぎこんで殺す。
  約百万匹のエリート「エッグゲッター」は、サッカーのフォワードやクィディッチのハリー・ポッターのような存在だ。「キラー」に護衛されて、頸管から子宮にはいり、卵管の受精ゾーンへむけて泳いでいく。受精ゾーンに到達した精子は驚喜のあまり、円や8の字を描いて激しく泳ぎ回る。
 卵子は3重にブロックされている。分厚い外壁、透明なゾーナ、最後の卵黄膜を越えてきた最初の精子と卵子の遺伝子の核DNAが溶け合う。
 生命誕生の瞬間である。
 この壮絶なバトルを戦い抜くためには、「キラー」と「エッグゲッター」の若さが重要である。
 受験戦争よりも精子戦争のほうが倍率が高いぞ。
 教科書をマスターするより、エロ本でベーションしなさい。
(参考文献 「精子戦争」河出書房新社  ロビン・ベイカー著)

18 January(sat)
9
resonant monkey moon

 今日のネアリカンは、「ネアリカ大賞」(おおみそかの日記を参照)を受賞した京都の美和ちゃん(参加日数8日も第2位)、大阪スカイビルの同じフィットネスクラブでインストラクターを勤める由美子ちゃん(初参加)、陶芸家を目指す由起ちゃん(2回目)、ベトナム帰りのミッシェルだ。
 美和ちゃんには、「十字架の制作を完全におまかせします」とメールしたら、赤と黒の三つ編み毛糸を編んできた。ケルトの聖なる数字は3で、羊の顔もフレームの模様も三位一体をあらわしている。オリジナルの三つ編み毛糸で交差模様を描き、そのなかにショッキングカラーの毛糸をたてに植え付け5ミリで切るという想像を絶する新発明をした。切り口のホワホワさといい、このすごさは実物を見ないとわからない。毛糸は横に貼るという常識をパラダイムシフトさせてしまった発明は、「ネアリカ大賞」の独壇場だ。
 由起ちゃんは陶芸を学ぶため、4月から京都に移住する。
 前回もたまたま京都からきた「おとくに竹あそび」の依里子ちゃんに出会えたし、今回もたまたま京都の美和ちゃんと大阪の由美子ちゃんと出会った。これから引っ越す関西に友だちがいないから狙ってきたわけじゃない、休みのとれた日に来たら、たまたま数少ない関西のネアリカンと出会っているのだ。シンクロはますます広がっている。
 ベトナム帰りのミッシェルは、むっちゃうまいフォー(ベトナムうどん)とライスペーパーの揚げ春巻きをつくってくれた。 鳥のもも肉からとった出汁(だし)も深いし、パクチーの香りがアジアにいさなう。
 初参加の由美子ちゃんは、国体で20位にはいったクロスカントリーの選手だった。
 フィンランドにスキー留学し、オリンピックを目指すも、コーチとのトラブルで帰国した。
「フィンランドといえば、ムーミンじゃん」オレが言う。
「わたしムーミンが恐くてしょうがなかった」とミッシェル。
「じゃあ、ムーミンってなんだか知ってる?」由美子ちゃんが質問する。
「カバ」
「ブー」
「サイ」
「ブー」
「おたふく」
「ブー、ムーミンはフィンランドの妖怪です」
 ムーミンの作者トーベ ・ヤンソンは、1914年フィンランドのヘルシンキに生まれた。彫刻家の父と画家の母を持つ芸術一家で育った彼女は13歳で挿絵画家としてデビューし、1939年に書きはじめた「ムーミン・トロル」という童話が世界広がっていく。
 「トロル=Troll」はフィンランドの醜い妖怪で、山の洞窟や地下に住んでいる。北欧先住民サーミ族の神話にルーツはあるという。
 トーベがつまみ食いを見つかったとき、「ムゥーウーウーウーミン・トロール」という妖怪がいて、人間の足に冷たい鼻を押し付けたり、首筋に冷たい息を吹きかけたりすると脅されたそうだ。
 ミッシェルの言うとおり、イソギンチャクのような「にょきにょき」も恐いし、ミーもおばさんキャラも恐い。 中学校の時ギターばかり弾いていたオレのあだ名は「スナフキン」だし、スナフキンの顔にはりついてとれなくなった「笑いのお面」もマクドナルドのバイトみたくて恐い。
 フィンランドが日本の隣国だって知ってた?
 地球儀見ろよ、高校の地図帳開けよ。ヨーロッパで一番日本に近い国はフィンランドだ。
 歴史ではロシアからさんざんいじめられたが、現代ではヨーロッパの携帯電話のトップシェアはフィンランドの「ノキア」だぜ。
 癒し系キャラのムーミンから学ぶこともたくさんある。
 「ねえムーミン(夢民=無民)こっちむいて」

19 January(sun)
10
resonant monkey moon

 ……死闘だった。
 今日のネアリカンは、美和ちゃん由美子ちゃんの関西勢に加え、ゴッドハンドとっちゃんとマジックハンドのハルカちゃんだ。
 いわばネアリカンのオールスターチームといっても過言ではない。
  オレが「ゆっくりお茶でも飲んで」と言っているのに、全員のカップをもつ手がわなわなと震えている。1秒でも早く制作したいのだ。
 「そろそろはじめますか」と言ったとたん、チベットで見た鳥葬のハゲワシのように毛糸をひっつかみ貼りはじめる。
 恐るべきスピード、常軌を逸した集中力、圧倒的な手腕。一介の下書き職人であるオレも彼らの迫力にあおられて、腰が痛いのに没頭してしまう。
 昼飯にトムヤム鍋を食ったあと、オールスターズに野望が芽生えた。
「フレームはむりだが、今日中に内側を完成させてやる」
 あっという間に10時間がたち、夜8時の最終電車までの時間が、秒単位でカウントされる。
 「やったー!」
 野望の成就を祝う間もなく10秒以内で記念写真を撮らなきゃいけないのに、デジカメが「カードのメモリーがいっぱいです」と撮影できない。よりによってこんなところで最悪のトラブル!。
  オールスターズはダッシュで駅に走っていった。
 彼らが帰ったあと、オレは古いメモリーを捨て、作品だけを撮影した。ボランティアが映っていないぶん、作品がより鮮明にアップできる。
  オールスターズにもなると、自分の顔よりも自分が創った作品を見たいのが本音だろう。
  トラブルは逆に「羊のカムイ」の 「はからい」だったのかも。

20 January(mon)
11 resonant monkey moon

 友人の作家佐川一政さんとの対談のために小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の「怪談」を何十年ぶりに読み返した。
 短編だから電車で読むのにいいし、巨大な輪廻思想(「力ばか」「お貞の話」「安藝之介の夢」など)にびっくりした。
  ハーンこそ、ケルトと縄文とギリシャをむすぶキーパーソンだ。
 アイルランドに生まれたハーンのファーストネームは「パトリック」という。聖パトリックはアイルランド最高の聖者であり、ケルトとキリスト教を結ぶ架け橋だ。
 母親がギリシャのレスカス島の出身で、 「ラフカディオ」はこの島の古代名からとっている。
 ハーンの作品の核をなす「螺旋」「円環」「輪廻」は、彼の愛した海の渦巻きからきているのかもしれない。ケルトと縄文とギリシャは、世界でもっとも渦巻きにこだわってきた文化だ。
 ハーンの思想は因果応報などの仏教的な輪廻思想ではない。もっと宇宙的なスケールだ。驚くべき先見をもって、ハーンは来日する10年前の1880年にこう書いている。

  われわれは過去において、数え切れないほど生を生きてきた。花になって生きたこともあるし、鳥になって生きたこともある。……現在の宇宙が消滅して、星の火が燃え尽きてしまうのちまで、われわれは無窮の転生をつづけていくだろう。

 ラーメン屋で「十字架と渦巻」を開き、運ばれてきたラーメンのなるとを見た瞬間、直感した。
 「なるとのギザギザは星……。オレは人間として生まれたのはまだ88回目くらい(この数字てきとう)だろうが、40億年の生命の歴史も、46億年の地球の歴史も、150億年の宇宙の歴史も、さらにその前の歴史(なんだろう?)も、オレの魂は記憶しているはずだ。
 そいでもって今後人類が滅亡しても、銀河系が滅びても、宇宙が収縮して消えても、オレの魂は永遠の螺旋を旅しつづける」
 中空で停止した割り箸を振るわせ、なるとを凝視するアブない客は、ひとりごちたように微笑んだ。
「ケルトとなるとは、渦巻でつながっていたんだ!」

21 January(tue)
12 resonant monkey moon

 記念すべき完成を飾るネアリカンは、ヤスコちゃん(4回目)と順子さん(初参加)、ノリこと今井紀彰だ。
 ノリは古くからの友人のアーティストで、岡本太郎賞など数々の受賞歴がある。
  ヤスコちゃんが通う宇都宮の自然食レストラン「あわや」のオーナー順子さんは、「餅キビのおいなりさん」を差し入れてくれた。むっちりとしたキビの触感がたまらない。
 オレもむかしニューヨークで マクロビオティックのレストランで働いていたことがあり、食の話で盛り上がった。
  マクロビオティックは、明治時代の石塚左玄(いしづか さげん)の食養法を起源とし、桜沢如一(ジョージ・オオサワ)が提唱した、「MACRO=大きな」+「BIO=生命」+「TIQUE=術」「大きな視野で生命を見る」という思想で食をとらえ直すムーブメントだ。
 しかし世界中にマクロビオティックを広めたのは、「アメリカで最も有名な日本人」久司道夫の活躍だ。
 マドンナ、マイケル・ジャクソン、トム・クルーズをはじめ、クリントン元大統領やカーター元大統領など、全米で200万人の実践者がいるといわれる。
 久司道夫は、1926年和歌山県粉河町に生まれる。1948年東洋哲学者の 桜沢如一と出会い、マクロビオティックの研究をはじめる。
 リッツ・カールトン・ホテルとマクロビオティックメニュー提携、ノーベル平和賞候補、 国立アメリカ歴史博物館(スミソニアン博物館)から彼の著作物を国家的資料として蒐集、保管し、一般に広く公開したいとの要請を受ける。
 世界のスーパースター、久司道夫を知らないのは当の日本人くらいじゃないかな。

 話は順子さんにもどるが、彼女はなんと自分自身でふたりの子どもをとりあげた。一人目は8時間の陣痛のあと、たちひざをつき、無理矢理産み落とすのではなく、子どもが自分の力ででてくるのを助けるという。
 す、すごい!
 ネイティヴ・アメリカンの出産方法に感銘を受け、自分もやってみると家族に言った。お母さんに泣きつかれ、妹は最後まで阻止しようとした。
 しかし現場に立ち会った家族は感動し、お母さんはみんなに自慢してまわり、妹も自分自身で子どもをとりあげたという。
 よく反抗期に「生まれたくて生まれたんじゃないやい!」などと言うが、このように自力で生まれたら「あんたが自分で生まれたのよ」と言われてしまう。自立心や世界に対する愛情もちがってくると思うなあ。

 そして「羊のカムイ」が、今日この世に生まれ落ちた。

23 January(thu)
14
resonant monkey moon

 作品の完成はうれしいんだけどさ、つぎになにを描くかというプレッシャーがやってくる。
 しかも「羊のカムイ最高傑作!」とか、「ネアリカの画集が出たらこれが表紙でしょう」とか、お誉めの言葉をいただくとうれしいんだけど、「これを越える作品なんてつくれんのかな?」と不安になる。
 もちろん「越える」必要などないが、たった1度でもつまらないものをつくったらボランティアはプッツリとだえるだろう。
 「日光いって、毛糸貼って、美味しいもの食べて、温泉はいって、小旅行」じゃ、リピーターはこない。
 来月は北海道からべつべつにふたりもきてくれるし、関西からの応募もふえている。
 60人を超えるボランティアの「気持ち」に、どうこたえたらいいか?
 オレだって誰だって生活は苦しいし、何万円もかかる交通費にこたえられる価値は、
  「作品」しかない。
 オレは20年間の創作経験から、
  「今の状況は奇跡であって、 オレのモチベーションがさがった瞬間、崩壊する」
  ということを知っている。
 30センチの表土で世界中の酸素を供給するアマゾンの森のようだ。
 毎回、綱渡りだよ。
 オレが落ちたら、
 ネアリカンは絶滅。
 わかってる……、
 わかってる…、
 わかってる。
 だから、
  「我がまま」でいくしかない。


 新作は「死者のカムイ」 ガイコツのFUCKだ。
  3回目のちーぼーは、フレームの枠を貼ってくれた。
 なぜか、アイルランドからチベットだ。
 螺旋から曼陀羅へ。
 なんで死んだ骸骨がセックスするの?
 死者のセックスでなにが生まれるの?
 なんもわかんない。
 誰か、説明して。

24 January(fri)
15 resonant monkey moon

 きのう夜11時15分からNHKでクレージーケンバンドをやっていた。
 無名のころから聴いていたが、こんなにブレークするとは驚きだ。去年の春にでたアルバム「グランツーリスモ」を制作のときにかけているので、ネアリカンたちにはすっかりおなじみだ。
 しかしきのうは、オレの大好きな2曲をやってくれなかった。「グランツーリスモ」の3曲目「スポルトマティック」は、結婚詐欺師のような男が女をくどく。

 「君を乗せるなら金のポルシェがいいだろう」からはじまり、さんざん贅沢な物を並べて女を誘惑するが、「そこで問題なのは金がないということだ」小声で「貸してくれないか〜」とおねだりする。さらに「俺の未来に投資しろ」と脅し、「GIVE ME YOUR MONEY ! 」と叫び、「PLEASE PLEASE PLEASE DON'T GO !」と愛想をつかされて逃げられる。

 14曲目の「薄幸 深夜妻」は、日本人男性と韓国人女性のマヌケな恋のすれ違いをデュエットする。
 女は「福富町のお店は3日まえにやめたわ。やってきたのは夜の区役所通り」。男はなにをかんちがいしたか彼女が帰国したと思い、ソウルのネオン街を探し歩く。 女は「同伴のお相手をあなたと重ねてみる。だけどやっぱりむりね、魂まではね」。男と女は「サランヘー! サランヘヨー!(愛してます)」と絶唱するが、男は「もうすぐ観光ビザも切れる」。けっきょくふたりは再会できず、月日が流れる。女は「あたしグァムのホテルの専属歌手になったの。地元の名士と恋に落ちて」。ところが男も「夫婦旅行の夜にはタモン湾を見おろすホテルのラウンジでショーでも見ようか」と、いちばん会いたくないタイミングでふたりは再会してしまう。男と女は「ノムハンミダー! ノムハンミダー!(ひどすぎる)」とふたたび絶唱。「まさかこんなところで、気まずい夜の鉢合わせ」。あんまりおかしいんでギターコードまでコピーしてしまった。

 あとね、マイブームは「もらい泣き」でブレークした一青 窈(ひとと よう)。
 裸足でステージに座り込んで歌う彼女は日本人と中国人のハーフで、子どものころに父を亡くし、思春期に母を亡くした。アルバム「月天心」の9曲目「アリガ十々」はいいよう。40男がこの歌聴いて泣いてんの。

ふたりがもし出会わなきゃ
あたしは生まれなかったの
1千回も1万回も
アリガ十々アリガトウ

 今日からマイブームになったのは、「鼻笛」。
 アマゾンへ旅立つネアリカン・ビコが送ってくれた奇妙な楽器だ。ショッキングオレンジのプラスチック製で、首のない飛行機を逆さにしたような形をしている。

 鼻笛は東南アジアから南太平洋まで分布しているが、たいてい片方の鼻の穴に当てて吹くふつうの笛を細くしたようなタイプだ。
 ハワイ人いわく「言葉をしゃべる口から出る息は汚れているが、鼻息はウソをつかないから神聖である」そうだ(ハワイ人だってカワイイ子見ると、鼻息が荒くなるくせに)。

 口を半開きにし、鼻息の強さで音程をつける。
 なぜか「めだかの学校」を練習した。
 「そうっとのぞいてみてごらん」の高音部はかなり鼻息を荒げなくてはならない。
 かっこわるいぞ!
 真剣に演奏すればするほど、こんなにかっこわるい楽器は世界でも類をみないだろう。
 クレージーケンバンドといい、シロップ16gといい、なんでオレはかっこわるいものにばっかり惹かれてしまうんだろう?
 「めーだーかーのがっこうはーかーわーのーなかー」

25 January(sat)
16 resonant monkey moon

 今日のネアリカンは14回目のとっちゃん、3回目の亜子ちゃん、初参加のこまっちゃんとちえちゃんだ。
 こまっちゃんは星飛馬似のナイスガイで、オレの「アジアに落ちる」を読んでインドへ行ったという。今回の「死者のカムイ」の原画は「アジアに落ちる」のイラストに描いたもので、シンクロしてるな。
 写真家のちえちゃんは94年のグループ展「DEAD END STREET 2」に参加していて、 久しぶりの再会だ。みうらじゅんの流れをくむ「仏(ぶつ)マニア」で、日光のことにやけにくわしい。「裏日光」と呼ばれるの隠れパワースポット滝尾(たきのお)神社に数年前トライしたが、大雨のために泣く泣く引き返したという。
「じゃあ温泉の代わりにパワースポット巡りする?」
 オレの提案にみんな大喜び。昼食後すぐに出かけていった。
 数日前の雪で道はすべるし、さすがハイヒールを履いてるやつはいないがブーツもいない。靴のなかに雪がはいるが、歩きつづけると体がほてってくる。
 うちから30分ほどでパワースポットの入り口に着いた。
 樹齢500年の杉に見守られ、大きな将棋の駒が積まれた祠があらわれる。30センチ、20センチと、大きさはさまざまだが、まっすぐに進む駒「香車(きょうす)」だ。
 1617年にできた東照宮なんかより850年もまえに日光を開山した勝道上人(しょうどうしょうにん)の墓と開山堂と呼ばれるお堂がとなりにある。
 勝道上人は766年に日光に修行にきて、神秘的で美しい山を二荒山(ふたらさん)と名付けた。弘仁11年(820年)に空海が入山し日光(にっこう)と改称したとされている。
 「二荒(ふたら)」山は、中国の伝説にある神の山、「補陀洛(ふだらく)」山からきてるという。チベットの「ポタラ」宮も同じ語源だと言う。
 大うそだ。
 オレはきっぱりと異説を唱えるね。
 日光の語源「ふたら」はアイヌ語だ。
 地名というのは習慣によって受け継がれ、なかなか変わらないものだ。じっさい渋谷も浅草も浦和もアイヌ語だし、日本の地名のほとんどがアイヌ語と古朝鮮語でできている。
 笹をアイヌ語で「プトラ」または「フトラ」という。
 関東平野の屋根をなす日光連山は笹におおわれていて、古い文献(この文献を忘れてしまった。ああアルツハイマー)ではこの一帯も「フトラ」と呼ばれていた。
 とっくにアイヌや修験道がいた日光にやってきたコロンブス勝道上人が勝手に「二荒」という漢字を当てて、江戸時代の人々が音読みで「にこう」としゃれ、徳川幕府が「日の光」とあがめただけ。
 庶民としては、誰か偉い人にあやかりたいのよ。弘法大師空海の伝説は日本中にあるが、実際は伝説というか思いこみがほとんどだぜ。
 将棋の祠のうしろで、「仏岩」という花崗岩の崖を見上げる。地震で仏の顔は崩れ落ちたそうだが、ここが最大のパワースポットだ。
 99年に「アヤワスカ!」にでてくるアマゾンのシャーマン・ボスケ(フェルナンド)と医者のダニエルをここに案内した。
  フェルナンドは仏岩のまえで立ちつくし、ダニエルが小声でオレに言う。
「フェルナンドのうえに天から真っ直ぐに降りてくる光が見えるか?」
「はあ?」
 霊感なんてこれっぽっちもないし、アマゾンに行くまえのオレにはぜんぜん見えない。
「ここはとても強いパワースポットだ。連れてきてくれてオブリガート(ありがとう)」
  同じ場所にたったネアリカンたちから言葉が失われた。全員が沈黙したまま立ちつくす。天上をよぎる鳥の鳴き声や木々の間を吹き抜ける風に耳を澄ました。
 洗われていく、
 洗われていく、
 洗われていく。
 雪の積もった石畳を歩いていくと、左手に学問の神様、菅原道真をまつった北野神社がある。「第一志望の筑波に合格しますように」などと絵馬が捧げられている。
  神社には必ずあるしめ縄からたらしたジグザグの白い紙と藁は、「稲妻」と「雨」だ。「雷」(=神鳴り)、稲妻(=稲の妻)、雨は弥生時代以来農耕民族の守り神だ。
 小さな祠のうしろには3メートルほどの巨石がある。
 このほかにも菅原道真由来の字がうまくなる「手がけ石」や、子宝に恵まれるという「子種石」と呼ばれる巨石がある。
 ぜんぶ大うそ。
 というか、滝尾道に散らばる巨石は縄文時代から「石そのものが神」という延長線上にあったのだ。
 そのパワースポットを受け継いだ弥生以降の農耕民族が都合のいいように、神道形態に変換した。
 パワースポットはいつの時代にも強烈な地場を放ちつづけてるし、それを人々は都合よく解釈すればいい。
 「運試しの鳥居」の3メートル上方にあけられたわずか10センチの穴に3個の石を投げる。1個でもはいれば願いが叶うという。しかしこれはありえない確率であり、 10回やって1個も通らないだろう。
 ちえちゃんはこの「運試し」にずっとあこがれてきたのだ。気合いいれすぎて石はあさってへ飛んでいく。亜子ちゃんはぜんぶ惜しいところではじき返されるし、オレもだめ。
 奇跡が起こった。
 スポーツ苦手なはずのとっちゃんと、もとバスケ部のこまっちゃんが2投目で貫通したのだ。
「なに願ったの?」
「あっ、願うの忘れてた」
 本殿で「2礼2拍1礼」する。パンッ、パンッと2拍は、ダブルクリック。「神」という万能ソフトが開く。
  裏手には「縁結びの笹」がある。男女に限らずふたりの人間が親指と小指だけをつかって笹を結ぶ。一見ロマンチックだが、この原点も「プトラ」(=笹)の山からきていると思う。
 わずか1メートルにも満たない石の「無念橋」は、自分の年齢と同じ歩数でわたらなくてはならない。そうすれば日光の霊山を登ったのと同じ御利益があるという。このチベット的なバーチャルさも、足の弱い老人や女子どもを救うおおらかな遊び感覚だ。
  しめ縄のはられた3本杉をとおして雪をかむった女峰山が見える。滝尾神社の扉をぜんぶ開けると、入り口から山を見通すことができる。山そのものがご神体なのだ。
 パチンコ屋みたいな東照宮よりも、縄文からアイヌへつづくパワースポット「裏日光」を探索あれ。
 帰りは丘を越えて二荒山神社へ降りる。
 丘の頂上には修験道の像をまつる「行者堂」がある。 わらじなどが奉納される旅の神様だ。
「この黒枠に額とほほを3回こすりつけて祈れば、無事に旅をできる」
 ここまでのガイドで信頼を勝ち得たオレの言葉を誰も疑わない。
 この黒枠はニスが塗っていなくて、さわると黒くなるのだ。
 熱心に祈りを捧げて顔をあげたネアリカンたちは、マオリ族の戦士ようなフェイスペインティングができていた。
「今のウソ、大ウソ!」
 お互いの顔を見て大笑いしたあと、「落とすのがもったいない」と戦士たちは下界に降りていった。

26 January(sun)
17 resonant monkey moon

 クレージーケンバンドの昔のやつがツタヤにはいったという噂を聞いて、いったついでにラーメンズのビデオ借りて、さっきまで笑い倒れておりました。
 ラーメンズはお笑いをはるかに越えた芸術でしょう。
 すごいよ、あのシュールさは。
 オレが説明するよりも、今ツタヤでレンタル100円なので、おすすめ。

 ネアリカンで、八百屋で、爆笑画家で、2児のははであるかこちゃんから、オレの性格判断メールがとどいた。今はやりの「モンキー占い」という。(今アクセスしたら工事中になっていた。……あやしい)

 生年月日を入力するだけだから、ベースは占星術だろう。生まれた日によって星の影響は受けるだろうが、その日に生まれたやつはみんな同じ性格なっちゃうじゃん。
 それでもドキッとするほど当たってるような……。
 ちょっと鋭いんで、ビビッた。

 多忙派ピンクモンキー

 夢を叶える現実派

 テキパキした行動と頭の回転の速さが特徴的な人物です。ユーモアもあり周囲を楽しませるサービス精神も旺盛。また、ペース配分がうまく、五年、十年スパンで物事をとらえる長期的展望を持ち、あくまでも自分のペースを崩さず、物事にじっくりと取り組んでいく堅実派といえます。自分の世界を大切にしており、プライバシーに土足で踏み込まれる事を嫌う、ガードの固いタイプでもあります。感受性が強いこともあり感情に走りがちですが、その感情表現を巧みに使って相手を上手におだてあげたり、すかしたりしながら、いつのまにか自分のペースにもっていく事に長けています。
 理屈で考えるよりは直感に頼った行動をとるため、思わぬ回り道になってしまう事も少なくありません。一方で、何事も自分の目で確かめたい性分で、巷に流れている情報を鵜呑みにはせず、本当のところはどうなのかと、裏を取りながら真実の情報を追究します。収集した情報を整理して取りまとめていくのもうまく、それが堅実さにつながり周囲からの信用を得ています。しかし、人が言ったことも事実を確かめるまでは信用しきれない慎重な面があり、常に緊張の糸を張り詰めているので、不安定な人間関係を作りやすくしているようです。実務面も効率的にムダなく物事を片づけていきますが、他人に任せきれず、結局は全部自分でやらないと気がすまない。人物評価も能力重視なだけに、細やかな気配りにはやや乏しそうです。
 独善的な面が強く、それがトラブルにつながる事もありますが、本来、人生において夢を追い続け、それを実現させる事に情熱を燃やすロマンティストです。ゴールに向かって、たとえ今がダメでも堅実節約でコツコツ地道に頑張る努力家。地位よりも富を重視しているので損得勘定に余念がなく、自分のメリットを感じなければうまく避けて通る要領を心得ています。親しくなると義理人情に厚いつきあいをする男気のある人物です。
 
 おいおい「ほめ殺し」かよ。占いによくある手口だ。そうやって信者増やしてんだろ?
 誰も、自分で自分を知ることはできない。
 直接 オレを知ってるネアリカンよ、間接的に本や日記を読んでオレの内面をオレより知ってる君よ、
 教えてくれ。
 どう?
 オレは「ビージー桃猿」かい?
 ドリカムかい?
 ……ほんとなら、「ちょびっち」、うれしいんだけど。

 おっと、おっと、告知。
 「風の子レラ」のチュプばあちゃんことアシリ・レラ(山道康子)さんが神戸で「アイヌの叡智とユーカラ」の公演をやる。
 生きてるうちにチュプばあちゃんに会ったほうがいいぜ。 同じ時代に生まれたのが奇跡なくらい素敵な人だから。これを逃したら、何億年の輪廻でも会えないぜ。

  2003年1月31日(金)18:00開場 19:00開演
 神戸アートビレッジセンター ホール
 高速神戸「新開地駅」8番出口より徒歩5分・JR「神戸駅」より徒歩10分

 前売(2800円)が売り切れないうちにGO!

27 January(mon)
18 resonant monkey moon

 「時はすべてを破壊する」
 げに恐ろしきものを観てしまった。
 ランディさんと「アレックス」の試写会にいった。
 監督のギャスパー・ノエは「カルネ」「カノン」でカンヌ国際映画祭批評家週間賞を2年連続で受賞する快挙を成し遂げている。
 
 「アレックス」が日本で秘密上映されたファンタジック映画祭で働くネアリカンのかよちゃんから噂を聞いていたし、ギャスパーと対談したことのあるランディさんに「アレックス」の映画評が依頼され、おまけでオレがついていった。
  「アレックス」が具体的に動きはじめたのが2001年の5月だ。その4ヶ月前、ペルーのアマゾンにあるパブロ・アマリンゴさんの絵画学校でオレはギャスパーと会っている。オレがもっていった「天使シリーズ」のカラーコピーを無言で見つめ、住所を交換した。あの知的でおとなしそうな青年がこんな天才だったなんて。
  「アレックス」は、オレが生涯観た映画のなかで最高傑作のひとつにならんだ。
 ストーリーはいっさい言わない。だって楽しみ奪うのはやだもん。
  4月に公開されるけど、パンフレットを先に読まないこと。だから抽象的に説明するしかない。
 いきなりエンドロールからはじまり、時間が逆に流れていく。冒頭の凄まじい暴力シーンで、カンヌでは途中退場者がかなりいた。
 どんなにつらくても最後まで観つづけてほしい。
 最後には「救い」がある。
 それも想像を絶する巨大なスケールで。
 「現実には救われないが、アンドロメダに救われる」
 わけのわかんない説明だろうが、君が「アレックス」見終わったとき、しばらく席から立ち上がれない放心状態で、この言葉を理解するだろう。
 「アレックス」は21世紀の「時計仕掛けのオレンジ」と評される。
  「時計仕掛けのオレンジ」の主役マルコム・マクダウェルといっしょに食事したことがある。オレがイタリアのフィレンツェに住んでいるとき、ルームメイトのアメリカ人が彼の知り合いで、いっしょに美味しいパスタを食った。「時計仕掛けのオレンジ」の暴力的なイメージにビビっていたが、ミスター・マクダウェルはウィットに富んだ紳士だった。
  ほっとした反面、「だまされた」と思った。
 なぜか、過激な作品を創る人ほどおだやかなんだよな。

 銀座の試写会のあと、ギャスパーの記者会見が渋谷であるという。ランディさんにいくのか訊いた。
「ギャスパーより、エスパーに会いたくない?」
「はあ?」
「バリ島に移住した超能力の清田君からきのうメールがあって、銀座で待ち合わせしたのよ」
 銀座松屋の裏手にある日本一うまい小龍包が食える「上海湯包」で芸大の「りゅう麻呂」君と3人で待っていると、40歳のエスパーはヒカル源氏みたいな衣装で登場した。奥さんのゆっこさんもいっしょだ。
 となりに座ったとたんに、オレの胸に「なつかしさ」がこみあげてくる。子どものころ「スプーン曲げの清田君」にあこがれていたり、小説家の「兄貴」宮内勝典さんとの共著「サイキの海へ」を読んでいたノスタルジーじゃないんだろうな。
 ランディさんとはじめて会ったときも同じ「なつかしさ」を感じた。この感覚を「前世の縁」とかで片づけるのはたやすいが、そういうものとはちがう「さじ加減」(スプーン加減)だ。
 「感覚を言葉にするのは不可能だ」と清田さんは言っていたが、あえて言うと、こんな感じ。
 「左足は俗の泥につっこみ、右足は聖の雲につっこみ、地団駄踏んで混ぜ合わせちゃう性格」
 う〜ん「アレックス」を観た直後なんで抽象表現に走りがちだが、ギャスパーもエスパー一族だな。
 清田さんが甘える奥さんのゆっこさんが、素敵!
  雑誌オレンジページなどで「未来食」を提案する大谷由美子さんの自然食レストランで働いていた経歴があり、自分だけで子どもをとりあげたネアリカンの順子さんも大谷由美子さんのクラスにかよっていた。
 清田さんは、青菜炒めに添えられたスプーンをなにげなくこすりはじめた。
 オレはゆっこさんの話を聞きながらも、横目でエスパーの手を凝視する。
 愛撫だ。
 スプーンの頭が、優雅な貴婦人のようにこちらをふりかえってくる。
 15年前にヘロインジャンキーだったオレにとって、薬(ヤク)をあぶるスプーンはとても神聖な存在だ。
  ものの3分もしないうちに貴婦人の首は90度、ふりかえった。
 清田さんのなにげなさといい、いくぶん短い指の愛撫の仕方といい、ねじれによって変化する銀の照り返しも、すべてが優雅で美しかった。
 これがトリックか超能力かなんてどうでもいい。
 その美しさに魅せられた。
  思わずそのスプーンで麻婆豆腐をすくって食った。
  美味い!
 神聖な超能力スプーンでそんなことしちゃいけないのはわかっているが、麻婆豆腐の辛さとうまみ
が増幅されんのよ。
 神棚や額におさめちゃだめ。
 この振動をバトンリレーしなくちゃ。
 明日からネアリカン全員に「エスパー・スプーン」で一回は食べてもらおう。
 「超能力」が「蝶の浮力」になる日まで。

28 January(tue)
19 resonant monkey moon

 今日のネアリカンは「マイナスイオン大賞」をとった7回目の文ちゃんだ。
 文ちゃんがフリースペースを担当する文庫こころとからだの相談室の主催で、オレにとって生まれてはじめての講演会を依頼された。
 4月4日(金)の6時30分から、ミナト未来地区を一望できる横浜市総合健康福祉センターの会議室だ。
  会場のキャパが100人くらいなので、優先順位は「ひきこもり関係者」なのだ。ここで募集するのは残りの席数が決まった3月ごろにします。一昨年のオフ会みたく入れない人がでるとまずいし、ネアリカンをふくめたakiramaniaのオフ会も5月あたりにやりたいねえ。

 「からだはうす」というところからリンクのお願いがきた。
 なんと東京で「ブレスワーク」をやっている。
 吉福伸逸さん(トランスパーソナル心理学を日本に紹介した大御所)は10年も前にハワイのノースショアでサーファーになっちゃったし、ブレスワークの中心グループ「C+Fコミュニケーション」は伊豆高原に引っ越しちゃったし、参加費もちょっと高い。

  ブレスワークについて説明しよう。
  1931年にチェコスロバキアのプラハに生まれたスタニスラフ・グロフは精神病理学を修め、1938年にスイスの研究所で偶然開発された幻覚剤LSDを、精神病患者やアルコール依存症患者、末期がん患者の治療に使用し、ひじょうに大きな成果を収めた。
 その功績によってアメリカに移住したグロフは、1966年にLSDの使用が法律で禁止されたことによって、世界中のシャーマニズムを研究し、15年かかって「ホロトロピック・ブレスワーク」を完成する。
 「ホロトロピック」とは、ギリシャ語の語源で「全体性へむかう」という意味だ。
 「ブレスワーク」は呼吸法。
 「ホロトロピック・ブレスワーク」は、 マラソンランナーのような「過呼吸(ハイパー・ベンチレーション)」をくりかえすことによって、脳の検閲装置である視床下部の活動がゆるみ、ドラッグを使わなくても変性意識状態に降りていけるナチュラルトランスだ。
 具体的にはふたりがペアを組み(できれば男女がベター)、過呼吸をする「ブリーザー」と世話をする「シッター」の役割を交代でする。
 変性意識のブリーザーがにこにこ笑ったり、急に泣き出したり、踊り出したりするのを、シッターは人とぶつかったりしないように守ったり、「鼻をかみたい」とか言われたらティッシュをわたしたりしてあげる。いわゆる「ベビーシッター」のようなもんだ。
 グロフは「意識の作図学」で変性意識状態を4つに分類した。
 これはアヤワスカや幻覚ドラッグ、オレたちが死ぬときの意識レベルと照合する。

 1 感覚的障壁(センサリーバリア)。
 なんか心地よかったり、手足がしびれたり、幾何学模様が見えたり、五感が違和感を唱える兆候だ。勿論ここで終わってもOK。

 2 自伝的領域。
 自分の人生のなかで印象的だった記憶がよみがえり、無意識のなかにしまいこんできた記憶(トラウマなど)がよみがえる。

 3 分娩前後の領域(ペリネイタルレベル)
 受精して子宮から出てくるまでの記憶だ。
 グロフは「バース・トラウマ」という発見をした。
 子宮という天国から追放され、窒息状態で死をのりこえ新しい世界へ生まれてくる新生児にとっての拷問は、手術台のまぶしい光、冷たいプラスチックの器やステンレスの体重計、針のむしろのようなタオル、母からの隔離など。
 「大病院での出産は赤ちゃんにとって拷問以外のなにものでもない」と警告し、アメリカの出産医療を革新した。(日本はまだ変わっていない)

 4 トランスパーソナル(個を越える)領域。
 動物や植物と一体化したり、宇宙と一体化することもある。
 意識の最下層は平和に満ちた世界で、波に揺れる船のようにただよう安らかさを体験する。

 もちろんどこまで降りていけるかは、本人のコンディションしだいで、何回かの体験が必要だろう。
 「からだはうす」は毎月「ブレスワーク」をおこなっているが(完全予約制12名まで)、今回は豪華だぜ。
  講師:菅靖彦、高橋実
 日時:2003年3月2日(日)午前10時〜午後8時
 場所:「からだはうす」 東京都武蔵野市御殿山1-1-2アライビル5F
 参加料:15000円
 TEL:0423-47-8626

参考文献
 「トランスパーソナル・セラピー入門」吉福伸逸 平河出版社
 「自己発見の冒険〔1〕ホ□ト□ピック・セラピー』」スタニスラフ・グロフ 春秋社 
 「脳を越えて」スタニスラフ・グ□フ。吉福伸逸・星川淳・菅靖彦訳  春秋社

 「魂の危機を超えて」C・グロフ+S・グロフ。 安藤治+吉田豊訳 春秋社

29 January(wed)
20 resonant monkey moon

 ラーメンズの「2つの単語の頭だけを交換する」ネタは、オレは子どものときからやってるぜ。

 「暴れん坊将軍」は、
 「しょばれんぼうあーぐん」(ラーメンズ)。

 頭の一文字だけが交換されるので、微妙なずれを生みながらも音声の雰囲気は残る。

 「ポケモン」は、
 「モケポン」。

 「ミッキーマウス」は、
 「マッキーミウス」。

 「マイケルジャクソン」は、
 「ジャイケルマクソン」。

 「ジャイアント馬場」は、
 「バイアントジャバ」。(バイオテクノロジーで生みだされた超人みたい)

 漢字変換で遊ぶと、

 「ドラえもん」は、
 「エラ土門」。

 「ゲゲゲの鬼太郎」は、
 「キゲゲの下駄郎」。

 「ブッシュ大統領」は、
 「ダッシュV頭領」。

 「小泉首相」は、
 「首位済み故障」。

 人の名前でやるとおもしろい。

 オレの本名「杉山明」は、

 「あぎやますきら」。
 「秋山好裸」はポルノ小説のペンネームにいいかも。

 「田口ランディ」(例に出してごめん)は、
 「裸口炭泥」とか。

 「燃える闘魂アントニオ猪木」は、
 「問える毛根イントニオあの木」。

 「ヘッド・トレード」法則にしたがって、日常語も変えちゃえ。

 「こんにちは」は、
 「にんこちは」(仁子、血は?)。

 「おはよう」は、
 「よはおう」(予は王)。

 「こんばんは」は、
 「ばんこんは」(晩婚は)。

 「ありがとう」は、
 「とりがあう」(鳥が会う)。

 言葉は、
 親殺しによって進化していくウイルスだ。

30 January(thu)
21 resonant monkey moon

 今日のネアリカンはちーぼーひとりのはずだったが、2日まえにまゆちゃんが参加表明して、それを見たみちちょふが愛知からかけつけ、ハルカちゃんも緊急参加した。まゆちゃんとみちちょふが夕方5時の電車で帰ったあと、タケちゃんとヤスコちゃんもやってきた。
 「レジの哲学者」、または「昭和の子ども」として人気のちーぼーは、宮殿をていねいに貼りあげてくれた。
 まゆちゃんは信じられないスピードで、梵字の「阿」(すべての始まり)「吽」(すべての終わり)のバックを貼り終える。
 伝統技法で職人がつくった「マイハサミ」で、みちちょふは蓮の葉を仕上げる。
 ネアリカ大賞候補になったハルカちゃんは、ガイコツの目玉の毛細血管まで表現する。「血走りおハル」と呼びたくなる。
 今日の写真は午後4時のものだが、8時にはハルカちゃんが左の頭蓋骨を、9時にはちーぼーが3つ宮殿を、ヤスコちゃんが右の頭蓋骨を貼り終えた。
 100種類の楽器を演奏できるタケちゃんは、鼻笛をギターを弾きながら吹こうとガムテープ顔に貼り付ける。あまりにもマヌケな姿に一同大爆笑。
 鼻笛のマヌケさに魅入られたオレは、ビコにたのんで1個250円の鼻笛を20個(計5000円)も購入してしまった。
 俺の夢は、鼻笛の合奏団「MUI鼻炎オーケストラ」を結成することだ。スペイン語で「MUI BIEN」は、英語で「VERRY GOOD」の意味で、「とても鼻炎なオーケストラ」。
 20人が眉間をしかめながら鼻笛で「メダカの学校」を演奏する壮大なマヌケさに人生をかけてもいい。
 だから200円。
 1個売るたびに50円損しても、人生最大の夢のためだ。

 ところで、「死者のカムイ」 ガイコツのFUCKはどういう意味なのか、誰か説明してと書いたが、あまりにもみごとな答えを曼陀羅ギャラリーに勤めるトシさんsが返してくれた。
 なんも考えずに作品つくっている作者にとって、こんなうれしい援護射撃はない。

 ご存じの通り、チベット密教の曼陀羅やタンカに画かれている骸骨のペアは「チティパティ(CITIPATI)」と呼ばれますが、実は先だってそのタンカの説明文を書いたところでした。
 参考文献などをまとめたのが次の説明書です。

 『チティパティ。別名、屍陀林王。チティパティとは墓場の主という意味であり、彼等は髑髏杖を持って夫婦で踊る骸骨の姿で表されます。あるいは骸骨の夫婦が交わった姿をとることもあります。チベットの伝説によれば、二人は夫婦で苦行僧でした。
 あるとき深い瞑想に入りましたが、その深さときたら、その隙を狙って泥棒が彼らの頭をはね、泥の中に彼らの身体を捨てたことに気づかないくらいです。その時以来、彼らは泥棒の宿敵になり、永遠の復讐を誓ったといわれます。冬至と夏至になれば、チベットのほとんどの僧院で、生と死のサイクルを象徴するダンスを骸骨マスクをつけた少年僧によって執り行われ、病魔を退散させる役割をするといわれます。 御利益・・・病魔退散、泥棒避け』
 西洋でも死神は骸骨で表現され、古くは大鎌ではなく、チティパティ同様旗を持っていたとされます。西洋のタロットで死神が顕れる場合、それは死というよりも新たな生、再生を意味しているといわれるように、チベットでの骸骨(チティパティ)もすべては死を迎え、新たな生を授かることを表現していると考えられています。
 ダンスしている姿は生と死の移り変わり−サイクルを表現しているのでしょう。しかし性交(FUCK)となると確かになんで?となりますね。産み出すというのがキーポイントでしょうか。
 チベットには有名な死者の書(バルド・ソドル)が伝えられているように、死後の世界観というものがよく考えられていると思います。チティパティもそれを示しているのでしょうが、密教的な色彩−いわゆる御利益もちゃっかり示されているのもご愛嬌だと思います。難しい仏教理論だけでは人々は満足しない。生きているからには幸せになりたいと考えるもの。
 さて、ここからが本題になるのですが、骸骨なのですから骨について考えるのが本
筋でしょう。
 人は皆死を迎えますが、死して骸骨は残ります。従って骨が人としての本当の姿であるといえるでしょう。
  骨の中でも、仙骨という骨は人間の爪先から頭の長さでみてもちょうど中心に位置しているものです。仙骨(骨盤)はたいへん重要な役目を担っており、解剖学的には呼吸を頭蓋骨と共同で行っているセンターの一つです。お尻に手を当てて呼吸すれば分かりますが、仙骨が呼吸と共に上下運動しているのが確かめられるでしょう。しかしながら、仙骨はそれだけではなく、人の霊的影響を一心に受ける場所として注目されています。
 人と人とが交わる時にも、この仙骨は、新しき波動を作り出します。人の肉体を生み、そして人の心を生み出すものです。創造の力の原点は、霊的な力を持つ、この仙骨に始まるわけです。
 おそらく、骸骨どうしの性交は、肉体の中に潜む人間の真の姿である骸骨を通じて、新たな生命の誕生を象徴的に示しているのでしょう。しかしながら、生命の誕生というありきたりの象徴よりも、もっと大きな規模で捉えてみることが必要なのではないかと考えます。それは、創造の時代が到来する、否、今やその時であることを知るときなのかもしれません。
 人には、天の門と地の門、そして人の門が存在しており、それぞれが三丹田に相当し、それぞれの門には主が存在します。それらを称して霊、魂魄、念(生霊)といいます。
まず、人の門が開かれてくることでしょう。そのさきがけとなるのが、この仙骨です。
 人間の中には、自然界より伝えられた生霊の声、すなわち、精霊の声も聞こえてくる人も出てくることでしょう。それが、人自身が分かる分からないに関わらず、人の元へ届いてゆきます。 それを効果的にするのが数字の「6」。森からあらわれるあらゆるものを呼びよせることができる数字であり、人の身体は沢山のものから影響を受けているのですが、その一つに森から出てくるフェアリー(精霊)が挙げられます。
 それを集めることが出来、人の身体を喜びへと変えることができることでしょう。
 人と自然を結ぶ。それは見えない世界−隔離世を結び、多くの者達が参集して時代を創造してゆくことでしょう。そのためには人間本来の力を発揮することが必要なのでしょうが、そのためには数々の封印を紐解く事となります。

 AKIRAさんがインスピレーションを仙骨にて感受し、様々なシンボルをモチーフしたネアリカを創作されてゆくのは過去の文明の遺産、そしてそれらを通じて送られてくる波動を復活させている行為なのかもしれず。人の進化は文明の進化とともにあり、決して過去の無文明の時代へと逆戻りするものではないでしょうね、きっと。

 すっごい納得。
 ありがとう、トシさん。
 カイロも貼ってないのに、背骨と骨盤(仙骨)のつなぎ目がずっと発熱してるんだ。
 ここってコンセントとプラグの差し込み箇所なんかな?
 こんなに熱いと、ショートしちゃうかな?
 骨盤はキャッチャーのミットだ。

31 January(fri)
22 resonant monkey moon

 半年ぶりに霧降高原にある郵政省のメルモンテのプールへいった。
 ネアリカンとメルモンテの温泉にいくのが日常化しており、プールも毎月10日から19日まで半額だったのが廃止されたせいでもある。
  半額の750円だったら、断固としてチャーシュー麺1杯よりプールをとる。
 しかし1500円だったら、断固としてプールよりラーメン3杯をとる。
 「スローライフ」と「ローコスト」で暮らすオレにとっての大きな分岐点だ。(偉そうに言うなって)
 冬のプールはがらがら。
  オレのほかには中学生と小学生の娘を連れたお母さんしかいない。
  冬は低い太陽軌道によって、プールの底に網目状の波紋ができる。
 たゆとう編み目の美しさは、太陽がつくりだす蜘蛛の巣のようにバタフライをからめとる。
 素人のバタフライほどかっこわるいもんはない。オレはブックオフで買った「水泳教室」のとおり練習したが、生きてるうちにバタフライ(蝶)になるのをあきらめた。
 クロールはここぞというときに使うもんで、長時間楽しめない。
 やっぱ「カエル泳ぎ(=平泳ぎ)」が優雅だねえ。
 日本の神話やトーテムポールにも蛙は欠かせないしね。
 蛙は、できるだけ「地に足を着かないで浮いていられるか」の極意を教えてくれる。
 オレが編み出した遠泳法は、「1かき2けり」。
  ずぶっともぐって、ゆっくりと腕をひとかきするあいだに足を2回キックする。
 足は腕の2倍以上の筋肉をもつから、これで疲労度が平均化される。まるでネアリカのグラデーション「2飛んで1」という法則みたいだ。
 ずいっと深くもぐって底にできた太陽の波紋を観察すると、虹色に分光する。
 なんという
美しさ、そして優雅さであろうことよ!
 いつかこれを撮影しようと思って、「水深5メートルまでご使用いただけます」という富士フイルムの27枚撮り防水使い捨てカメラ(1680円)をもってきたのよ。
 オレが太陽光の波紋を撮るのに熱中していたとき、水中でわずかな波音が響いた。
 オレが水面にでたとき、お母さんと目があった。
 ひげ面の男が「タコ入道」のようにざんぶりと浮き上がってきた……しかも水中カメラを抱えて。
 なにをいったかわからないが、お母さんは中学生と小学生の娘に声高に命令した。
 突然母親の一言で水遊びを中止された娘たちの抗議が聞こえる。
「えー、もう帰るのー」
 オレは母娘たちに駆け寄り、「ち、ちがうんです、この水中カメラは太陽の波紋を……」と説明したかったが、いってしまった。

 太陽と水面の屈折率はつねにたゆとい、二度と同じ模様は描かれない。

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 「ネアリカ」(毛糸絵画)の制作ボランティア、まだまだ募集!
 最新作「死者のカムイ」
 第1作「鹿のカムイ」
 第2作「太陽のカムイ」制作過程
 第3作「蝶のカムイ」制作過程
  第4作「牛のカムイ」
制作過程
 第5作「梟のカムイ」制作過程
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 「アヤワスカ!」の感想
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