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今日のネアリカンは、栃木県南部からきてくれた、ちーぼー(初参加)だ。
ちーぼーはジャスコの食品売り場のレジで働きながら、通信制大学で学び、哲学のサークルで発表し、自分のホームページも運営し、ネアリカまできちゃういそがしぶりである。
「こちら半額になりまーす」と笑顔でレジを打つおねえさんが哲学してるとは、知らなかった。
「ちーぼーは、どんなテーマで発表したの?」
「ええと、『遊びと労働』です」
「やっぱ遊びといえば、『ホモ・ルーデンス(遊ぶ人間)』を書いたオランダの碩学ホイジンジャーだよね」
「あのう……ホイジンガです」
「じゃあ『遊びと人間』を書いたフランスの哲学者ロジェ・カイワレは?」
「……カイヨワです」
「さすが食品売り場!」
「遊び」ってなんだろう?
ホイジンガは1938年に出版された『ホモ・ルーデンス(遊ぶ人間)』(高橋英夫訳、中公文庫、1973年) で、「遊びは文化よりも古い」と言い切っている。
遊びは文化の幼稚な段階なんかじゃなく、遊びが文化を生み、進化の原動力だと言う。
それもむっちゃ博学な資料を緻密に検証し、トランス状態の直感で、「すべて遊びなり」と豪語しちゃう。
「遊びはものを結びつけ、また解き放つのである。それはわれわれを虜にし、また呪縛する。それはわれわれを魅惑する。すなわち遊びは、人間がさまざまの事象の中に認めて言い表すことのできる性質のうち、最も高貴な二つの性質によって満たされている。リズムとハーモニーがそれである」
大好きだぜ、「ほい、ジンジャー(しょうが)」 。
カイヨワは1958年に出版された『遊びと人間』(講談社学術文庫。多田道太郎、塚崎幹夫訳)のなかで「遊び」を6つに定義した。
| 自由 |
遊戯者が強制されないこと。もし強制されれば、遊びはたちまち魅力的な愉快な楽しみの性格を失ってしまう。 |
| 隔離 |
あらかじめ決められた明確な空間と時間の範囲内に制限されていること |
| 未確定 |
ゲームの展開が決定されていたり、先に結果が分かっていたりしてはならない。創意の必要があるのだから、ある種の自由がかならず遊戯者の側に残されていなくてはならない |
| 非生産的 |
財産も富も、いかなる種類の新要素も作り出さないこと。遊戯者間での所有権の移動をのぞいて、勝負開始時と同じ状態に帰着する |
| 規則 |
約束ごとに従う活動。この約束事は通常法規を停止し、一時的に新しい法を確立する。そしてこの法だけが通用する |
| 虚構 |
日常生活と対比した場合、二次的な現実、または明白に非現実であるという特殊な意識を伴っていること |
ホイジンガは遊びの動機を「競争」「模擬」という2つ分けたが、カイヨワは4つに分類した。
| 競争(アゴン) |
スポーツ、ケンカ
企業間競争、受験、コンクール |
暴力、権力意志、術策 |
| 運(アレア) |
宝くじ、競馬、カジノ
株式投機 |
迷信、占星術 |
| 模擬(ミミクリー) |
演劇、映画、スター崇拝、制服、礼儀作法、儀式 |
狂気、二重人格 |
| 眩暈(イリンクス) |
登山、スキー、車
空中ブランコ乗り、空軍士官 |
アルコール中毒、麻薬 |
「ほい、ジンジャー」の情熱も、「カイワレ」の株分けも、すばらしい。
そこで オレの強引な珍説を言わせてほしい。
「遊びは、抑圧されたシャーマニズムだ」(またそこへもっていくのかよと言われそう)
人類発生以来7000000年間もつづいてきた世界最大最長の宗教が、一神教の発生以来2000年、産業革命以来200年、抑圧されてきた。
「魔法」、「超能力」、「オカルト」、「妖怪」などへの渇望は、「ハリー・ポッター」や「ロード・オブ・ザ・リング」や「千と千尋の神隠し」に噴出している。
論理や科学で説明できない快感の根元にあるのが、「遊び」だ。
現実のイジメから逃れ(自由)、魔法学校ホグワーツ(隔離=規則)にはいったハリーは、クイディッチ (競争)で勝ち(運=未確定)、魔法使いのテクニックを学び(模倣)、裏側の世界(虚構)に生きがい(眩暈)を見いだす。
シャーマンは、患者を肉体から連れだし(自由)、精霊の世界(隔離=規則)にはいる。呪いをかけた敵と対峙し(競争)、自然界の力にたより(運=未確定)、とり憑いた精霊を再演し(模倣)、神々(虚構)から治癒力(眩暈)をもらう。
「遊び」が先か、「シャーマニズム(=宗教)」が先かは、ニワトリと卵のイタチごっこだろう。
現在50人以上のネアリカンが2メートルのキャンバスのうえで遊んでいるが、ホイジンガの言葉でしめくくろう。
「その外形から観察したとき、われわれは遊びを総括して、それは「本気でそうしている」のではないもの、日常生活の外にあると感じられているものだが、それにもかかわらず遊んでいる人を心の底まですっかり捉えてしまうことも可能なひとつの自由な行動である、と呼ぶことができる。この行為はどんな物質的利害関係とも結びつかず、それからは何の利益も得られることはない。それは規定された時間と空間のなかで決められた規則に従い、秩序正しく進行する」
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