下にいくほど新しくなっています

1 april(thu)
26 soler moon

 この2日間、イタリアンな日々である。
 ミラノに住む旧友ペペが老舗レストランのオーナー・アルドとソムリエのジャコモを連れてきた。12時間も飛行にゆられ、成田から直接我が家にくるとは無謀かもしれない。
 何事も第一印象がたいせつである。
 彼らにとって最初の日本体験がうちであり、 はじめての日本人がオレなのだ。
 いわば、ワールドカップの日本イレブンをひとりでおんぶしているようなものである。
 ミラノ駅前の一等地で67年から営業をつづけるレストラン「PIZZERIA GAFFURIO」のシェフとソムリエとして彼らは招聘され、日本にイタリアの食文化を紹介する、いわばセリエAの代表コンビだ。
 だからといって、いきなりの納豆攻撃や塩辛責めやクサヤ爆弾は避けるべきである。着いたその日から「マンマミ〜ヤ、おうちえかえりたいよ〜」となってしまう。
 打ちのめしてどうすんだ。本当の勝利は「もう一度食いたいよ〜」と思わせなくちゃならない。
 もちろんパスタで勝てるわけはない。よっしゃ、ミラノの日本レストランでは絶対食えない日本料理で勝負だ。
 まず日光といえば、ゆば。
 刺身こんにゃくの山椒味噌和え。
 ざる豆腐にクコの実のあんかけ。
 沖縄豆腐ようのわかめ和え。
 ニラとなめこの白だし卵とじ汁

 山菜の炊き込み雑穀玄米ご飯。
 「マラヴィオッソ(すばらしい)」を連発しながら老舗レストランのオーナーはきれいにたいらげてくれた。
 なんといってもソムリエを驚かせたのは、友人が送ってくれた大吟醸白竜。
 「こんなメロンのような酒ははじめてだ!」と何度も匂いを嗅ぎ、口のなかでころがし、香りと味の膨大なコンピュータリストに刻み込んでいる。
 はじめは、オレも彼らもそうとう緊張していた。
 しかし美味しいものを食い、美味しい酒を飲んでいるうちに、「日本代表」や「セリエAの代表」の看板が吹っ飛んでいく。
 いきなりカンツォーネ(イタリア民謡)がはじまる。
 彼らはミラノに住んでいるが、カンツォーネのふるさとナポリターノ(ナポリ人)だ。ナポリタンのスパゲッティーは有名だが、ナポリターノはすかしたミラネーゼ(ミラノ人)とは正反対で、子どものように開放的で、バカバカしいほど明るい。
 ふふふ、ついに本性をあらわしてきたぜ。
 しかも音痴。
 同じカンツォーネをふたりはぜんぜんちがう音階とリズムで熱唱する。
 ミラノを代表するシェフとソムリエは箸で一升瓶をたたき、しまいにゃあ「知らぬ同士が小皿叩いてちゃんちきおけ〜さ〜」状態だ。
 オレは腹の皮がよじれるほど笑いながらビデオを撮った。
 オレは15年前フィレンツェに半年ちょっと住んでいたが、イタリア語はほとんど忘れている。アルドの奥さんはポルトガル人だし、ジャコモもスペイン語が半分くらいわかる。英語はふたりとも苦手だし、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、オレとペペは日本語などのむちゃくちゃな会話が飛び交いつつも完璧なコミュニケーションがとれるのが不思議だ。
 「VIVA PUCCHIACCA !」(ビバ、プッキャーカ!)
 老舗のオーナー・アルドが真剣な顔で言う。
「いいか、マドリッドの列車テロは、スペインがアメリカにいい子いい子してもらうために媚びた結果だ。イタリアは最初から最後までブッシュに反対していた。アメリカやブッシュに世界を支配させてはいけない。今こそプッキャーカに世界を支配させるんだ!」
 プッキャーカとはナポリの俗語で女性器のことである。
「すばらしいプッキャーカと美味しい料理と楽しい歌があれば、人生満足じゃないか」
 ううむ、こいつらただのスケベなのか、深遠なる哲学者なのかわからなくなる。
 たぶん両方なのだろう。
 ミラノにいって直接ふたりにきいてみよう。
 ミラノ駅東口DAIAZZO広場
 PIZZERIA GAFFURIO
 VIA F.GAFFURIO,8-MILANO
 TEL 02.66.91.191
 「AKIRAの友人」と言うと特別サービスするって、オーナーとソムリエは宣誓した。
 このかっこうで。

 左ソムリエGIACOMO。右オーナーシェフALDO。

2 april(fri)
27 soler moon

 ドキュメント映画「HARUKO」の試写会へいってきた。
 もとになったのは「ザ・ノンフィクション」で放送された「母よ!引き裂かれた在日家族」で、あまりの反響にフジテレビが映画化へ踏み切った。
 製作チームはテレビからはじまった「踊る大捜査線」や「解夏」を映画として大ヒットさせ、「アシュリーの生き方」でニューヨークフィルムフェスティバル・ドキュメンタリー銀賞を受賞している。
 お台場にあるフジテレビの試写室は満員でオレのとなりには野沢監督、うしろには主人公である87歳の春子さんがすわっている。
 オレはテレビで45分版を見ているので、81分へ引き延ばしても水増しになるんじゃねえのと危惧していた。
 いきなり風呂場で年老いた母の背中をこする息子とのシーンからはじまる。
 オレの母親がガンで入院していたとき、床ずれができぬよう体を拭いてやったことが思い出され涙がにじんでくる。
 戦中に日本へわたってきた春子さんは同郷の夫と17歳で結婚し7人の子供をもうけるが、夫は博打と女に走り、女手ひとつで波乱の子育てをつづける。
 なんと逮捕歴37回である。
 ヤミでパチンコの景品買いをしてる姿や新宿警察署から釈放されるシーンを当時朝鮮総連のカメラマンだった長男が撮影している。貴重なモノクロ映像は強烈なリアリティーと郷愁をもって迫ってくる。野沢監督による現代の映像と40年前映像が絶妙に絡み合いながらひとつ家族の物語が生々しくくり広げられる。
 なんといっても春子さんの圧倒的な存在感とたくましさがデーンとある。家族ためには法律なんてクソ食らえの母、ハングル語も日本語の読み書きもできないがサバイバルの哲学者である母、北朝鮮にいる3女がなにを食べているか食事のたびに心配する母、息子がガンになり号泣する母、「30円の値打ちもない夫に300万の葬式代をだしてやった」と夫の墓に参るのを拒みつづける母、孫娘の結婚式で「笑う日が来たんだから泣くんじゃないよ」と叫ぶ母、
 こんなにも母とはたくましくなれるのか。
 なりふりかまわぬ春子さんに大笑いし、気がつくと10回以上も涙していた。
 しかも実物の春子さんがうしろで文句を言ったり笑っているもんだからなおさらである。(まあ映画の最中にしゃべる権利がある唯一の人だし)
 今日はマスコミ関係者だけの試写会なのに会場中至るところからすすり泣きが聞こえ、電気がついてふりむくと、みんな目をこすっている。
 この映画は在日問題などという視点はまったくない、誰もがもっている家族、その葛藤と絆、母という人類普遍のテーマがはらわたの底から感動させる。上映中何度も自分の母を思いだしたのはオレだけではないだろう。生き方というのは、かっこわるく俗であればあるほど美しいのだ。
 あなたはお母さんの背中を流せますか?

  5月1日(土)よりポレポレ東中野にて公開なんで、ゴールデンウイ−クにぜひ見に行ってちょ。

4 april(sun)
1 planetary moon

 イタリアの友人たちから極上のシシリアワインが送られてきた。
 彼らがうちに滞在していたとき、日本のワインを味わってみようと500円くらいのマンズワインを買ってきた。
 せっかく彼らが買ってきてくれたワインなので、オレはなにも言わなかった。
 ソムリエのジャコモがオープナーを用意し、プラスチックカバーを開けてみると、ねじ式のキャップだった。
「コルクはどこだ」
 ソムリエはキャップを開けてコルクを探している。おそらく彼の脳裏にはこんな言葉が浮かんだはずである。
「あれだけ美味しい日本食(この日のメニューはウナギのちらし寿司)を食べている民族だ。きっと中身は昨日飲んだ白竜のようにすばらしいだろう」
 グラスにつぎゆっくりと回転させ、鼻を近づけたとたんソムリエは顔をしかめたが、勇気を出して一口すすった。
「こ、これはワインじゃない。実験室の化学薬品だ」
 ソムリエは泣きそうな顔でキッチンに走り、なんども口をゆすいだ。
 大きな夢と憧れを抱いてジパングにやってきた彼らをつぎつぎと試練が襲う。
 イタリア人は無類のコーヒー好きである。彼らは自販機にならぶ缶コーヒーの種類に驚いた。
「オー、このバリエーション。さすがジャポネーゼはコーヒー通だ」
 喜々としながらボタンを押し、ごろんと出てきたブルーマウンテンをごくりと飲みこむ。
「ん?」
 オーナーシェフ・アルドは首をかしげながら自分の缶と自販機にならぶ缶を照合している。
「これはお湯か!」
 缶入りのお湯など売っているわけないが、真剣にボタンを押しまちがえたと悩んでいる。深入りの芳醇なエスプレッソを毎日10杯近く飲んでいる彼らにとって、日本の缶コーヒーは「お湯」なのであった。
 彼らの滞在2日目の夜にはタケちゃん夫婦もきていた。
 タケちゃんの携帯が鳴り、「もしもし」とでる。イタリアでは「プロント(聞いて)」とでるが、「もしもし」という音は「疲れた人がいっぱいいる」という意味だそうだ。たしかに
オレたちは2日間のチャンチキおけさで疲れていたしな。
 ここからは彼らがノートに書き残してくれた「イタリア俗語辞典」(こんなもんばかり、ていねいに書き残しやがって)なので、淑女は厳禁、読まないでください。
 これからイタリアへいくという紳士淑女は「絶対に言ってはならないイタリア語」として学習してください。
「そうか、そうか」
 これも彼らには「せんずり、せんずり」と聞こえるという。Sega (セーガ = のこぎり)という意味である。
 「プニェッタ」(ミラノ )。「ペシェ・イン・マノ」(=手の中の魚。ナポリ)とも言う。
 イタリアに住む日本人のあいだでは有名な話だが、「磯野カツオ」はやばい。
 Iio sono=私は〜です。「カッツォ」(=男性器)。
 つまり「磯野カツオ」は、
 「私はチンポです」になってしまうのだ。
 戦前、日本の水泳五輪選手に高石勝男という人がイタリアに遠征したとき、観衆から「カッツォ、カッツォ」と大声援を受け、なぜ自分がこんなに人気があるのかわからなかったそうだ。ペペの本名は勝也なのでイタリアでは名字をつかっているし、
「かずお」さんもファーストネームは避けたほうがいい。もし名字が「瀬賀」さんだったら、絶望的である。
 イタリア大使に任命された瀬賀和男さんがタキシードを着て、外務大臣夫人の手に口づけて自己紹介する。
「わたしはせんずりチンポです」
 くれぐれも瀬賀和男さんだけはイタリア大使に任命してはいけない。
 念願のイタリア留学をはたした「加賀舞」さんが入学式のパーティーで自己紹介した。
「お会いできて本当にうれしいです。わたしは、絶対ウンコをしません」
 Caga (カーガ )はウンコをするという動詞で、Mai (マイ) = never、絶対〜ないという意味だ。
 くれぐれも加賀舞さんだけはイタリア留学をしてはいけない。
 はじめてのイタリア旅行で列車のコンパートメントに乗り合わせた男性に「瀬野陽子」さんは自己紹介した。
「日本からきましたオッパイ・プレーです」
 Seno [セーノ] = 女性の胸、ナポリ訛りでヨーコはgiocare = プレイする、遊ぶなのである。
 くれぐれも瀬野陽子さんだけはイタリア旅行をしてはいけない。
 「梶野」さんはご存じ「casino」(カジノ= 混乱、ムチャクチャな状況)だし、「須藤」さんも「わたしは汗をかく」(Sudo = 動詞「sudare = 汗をかく」の1人称単数現在形)だし、「安藤」さんは「あの人は行った」である。
 日本人にとってイタリアは地雷だらけ、危険がいっぱいだ。
 とくに女性器の俗語には気をつけたほうがいいと唐草スーパーマンコンビが熱弁していたが、ローマ字で書き写すと検索でイタリアのポルノサイトから大量のメールがきてしまうのでカタカナで書く。
 「フレーニャ」(ローマ)。
 「プッキャーカ」(ナポリ)。
 「ベリーニ」(ジェノバ)。
 「トサ」(トスカーナ)。
 「スティッキオ」(シシリア)。
 「ニョッカ」(ヴェネツィア)。
 ちなみに「FELLATIO」はラテン語であり、現代イタリア人は「ポンピーノ」(ポンプ仕事)というそうである。
 ううむ、
 ミラノを代表する老舗のシェフとソムリエが書き残していったものは秘伝のレシピではなく、下品極まりない「俗語辞典」であった。
 俗語というものは時代とともに滅びゆくバブルのようなものである。
 それを一字一字真剣に書き記す情熱は、オレという日本人に伝える意味はなんなのだ?
 彼らはナポリの格言を教えてくれた。

 A VITA E'NA BRIOSCE NA RAPUT E COSE NA MENATRE PESE E TUTTO PERNESE
 人生は、クロワッサンを開いて、魚をはさめば、すべて終わるんだ。

 ブリオッシュはクロワッサンのようなパンであり、魚のフライをはさんだサンドイッチはナポリではもっともポピュラーな庶民食だ。
 男尊女卑ととるには、あまりにもシンプルで深すぎる格言である。
 オレはまだ、終わってはいない。

6 april(tue)
3 planetary moon

 宙に浮く独楽に、リボジー(8歳)とシュボジー(3歳)は目が点になっている。
 ふっふっふ、オレはやつらを驚かすために、貧乏どん底なのに3980円 (税込4179円) も出して 「レビトロン・ゼロ」を買ったのだ。
 ちなみに妹の旦那は「独楽をまわすと浮き上がるのよ」と言われ、うちの猫コマのことだと思いこんでいたという。「どうやってあんな重い猫をまわして浮き上がらせるのだろう?」と考えていたそうだ。
 リボジーとシュボジーは独楽を争ってまわすがうまくいかない。
 どうだガキども、オレのすごさがわかったか。これで完全に優位に立ったぞ。
「ちがーう! 呪文を唱えないと独楽は浮かんのだ」
 オレは浮かぶ独楽のまわりで指をうにゃうにゃ動かし、魔法の呪文を唱える。
「マンモラホラチン、マンモラホラチン」
 やつらも真似して呪文を唱える。
「マンモラホラチン、マンモラホラチン」
 ふと、こたつにおいてあった国語の教科書に目がとまる。

 ん、「ねがぼ」ってなんだ?
「マンモラホラチン、マンモラホラチン」
 オレは独楽をまわしながら考えた。
 「音画簿」という音楽と図画の簿帳だろうか?
 いや、これは明らかに国語の教科書だ。
 「願慕」という新しい熟語なのだろうか?
 「根我母」我々のルーツは母につながるという意味だろうか?
 「寝臥暮」眠っているうちに日が暮れてしまった
という意味だろうか?
 「値蛾募」とても高価な蝶を募集するのだろうか?
 「うごうごるーが」のようにナンセンスなネーミングかもな。
 いや「うごうごるーが」だって「ゴーゴーガール」の反対読みだ。
 そうか、反対読みだ。
 「ぼがね」。
 ますますわからん。
 「墓鐘」お墓のある寺の鐘のことか?
 「ぼかあねえ」という加山雄三語なのか?
「マンモラホラチン、マンモラホラチン」
 リボジーに訊くのもくやしいので、さらに考える。
 マトリックスの NeoがThe One(=救世主)のアナグラム(文字列べかえ遊び)であるから、
 「がぼね」はどうだ。
 「餓骨」骨が見えるくらいやせた人のことか?
 「がねぼ」
 「got never」決して手にはいらなかった?
 わからん、決して答えは手にはいらなかった。
 近頃の文部省は、作家でも知らない単語を小学生に教えているのか。
 ん? 年年(止)ねがぼ。
 「ねがぼ」は毎年止まっているのか?
 年の大きさがちがうぞ。
 じっと目を凝らすと、書体を巧妙に真似て書き加えられたあとがある。

 三年(上)わかば

  マンモラホラチンチンーン!
 またこのクソガキにだまされてしまった。
 
 うへへ。

8 april(thu)
5 planetary moon

 日本最大の縄文系祭り、御柱祭にいってくる。
 20万人の氏子により7年に1度執り行われる天下の大祭だ。
 金がなくても、今しかない。
 今行動しないと、永遠にできない。
 これがオレの行動原理だ。(わかりやすいなあ、つーか単純バカ)
 7年後にオレが生きている保証などまったくないからね。
 35度という断崖絶壁を10トンもの大木に男たちまたがって落下する木落しでは、毎年のように死者が出る。
 岡本太郎も参加したいと言っていたが、オレもしたい。
 しかし地元民のみなので、見学にまわるしかない。
 したい、したい、死体になるまで。
 ああ、血がジンジンうずくぜ。

8 april(thu)
5 planetary moon

  御柱祭ツアーのメンバーは、アキラ、半蔵、竜、大介という「ファイトーいっぱあーつ」の野郎4人組みである。
 やはり男の祭りには硬派バリバリで決めなければならない。
 朝10時に日光集合だ。足尾から群馬経由で長野の諏訪にむかう。
 朝からいきなり竜が大チョンボをやらかした。大学の単位を申請しまちがえたのである。午後3時に再申請し直さなければならない。
 大介が日光にきて11時に3人で出発した。
  電車できた竜と軽井沢で合流し、小諸で道に迷い、夜8時になってしまった。しかたなく小諸の道の駅で野宿することにした。駐車場の裏に屋根つきのテーブルベンチが2つある。芝生もふかふかだし、寝ごこちもよさそうだ.
 なるべく人目につかないところを探そうと、懐中電灯をもって暗闇の中をすすむ。山のほうへ歩いていくと、突然野犬が吠えた。熊笹の中をこっちにむかって突進してくる音がする。
「ファイトーいっぱあーつ」
 オレは情けない悲鳴をあげて全力疾走で逃げた。
 山のほうはあきらめて、滑り台のよこにテントを張ることにした。ここなら真っ暗で道からは見えないし、野犬の王国に寝こみを襲われても滑り台にのぼり蹴落とせばいい。
 オレが闇の中でテントの骨組みを組み立てていると、まばゆいばかりのライトがいっせいに点灯した。ヘリコプターの投光器に照らしだされた犯人のようにふりむけば、なんととなりにテニスコートがあるではないか!
「ファイトーいっぱあーつ」
 青春真っ盛りの男女が2組、ラケットをもってやってきた。ナイター照明だけでなく、オレのテントの真横の殺虫灯までつけやがる。このクソ寒いのに虫なんかいるわけねえじゃねえか。オレは虫ケラか!
 キャンプ用のコンロで雑炊をつくり、日本酒で乾杯した。さすがに焚き火はできないので、手の指とつま先がこごえる。
 道のむかいにある温泉にはいり、寝袋にもぐりこむ。
 大介に冬用の寝袋を貸したので、オレはアマゾンで使った夏用の寝袋だ。だんだんと体が冷えてくる。
「寒くて眠れないよう」
 夜明け前の4時に半蔵を起こし、車で眠ることにした。
 大自然の摂理は「ファイトーいっぱあーつ」では越えられないのだ。

9 april(fri)
6 planetary moon

 諏訪は祭りの熱狂に包まれていた。
 猿年と寅年のみ、7年に1度の大祭だ。祭りのある年は仕事を休んで1年間祭りの準備だけをするという人も多い。御柱の先頭に乗る者は自分を守ってくれる30人ほどの親衛隊に酒や祝儀を振舞わなくてはならない。ある乗り手はそのために田畑を2反手放したという。諏訪っ子は身上をつぶすこともいとわない、文字どおり「命がけ」なのである。
 それぞれの地区のはんてんを着た人たちがぞくぞくと会場に集まってくる。人の流れについて諏訪神社から会場まで40分ほど歩いた。
 こりゃ、すげえ。
 川沿いの急斜面を中心に20万人の大観衆が群れていた。あこがれの木落とし場である。川向うの指定席は売り切れで、ネットで3万円の取引がされている。しかし河原からは全体像は見えても、迫力がいまいちだ。坂のわきにある斜面から見ることにした。近くに木とかある人はつかまれるが、満員なので足をふんばってないと転げ落ちてしまう。
 子供たちが木やり唄を歌い、花火が打ち上げられる。アイヌのイナウ(御弊)のような房のついたのぼりを氏子がふっている。崖の左上にある赤の旗が緑の旗に変わった。はじまりの合図だ。
 はっぴを着た町内の人が100メートルもある綱を2本引っ張って降りてくる。
 朝から最前列に陣取った撮影マニアのおじちゃんたちが立ちあがり、全体像が見えない。しかし
観客も命がけである。
 長野オリンピックのときは柱にはじかれた岩が女性を即死させた。14年まえには柱の綱がいきなり切れ(運動会で使用していた古い綱)、暴走した柱が観客席に突っこんだ。担架で運ばれた男性の心臓が打つたび、頭から血が噴水のように吹きだしたという。
 御柱が落下した。
 木々のあいだから大スペクタルがかいま見えるが、これじゃだめだ。
 オレはいちかばちかの賭けに出た。
 諏訪市民に知り合いがいれば綱を引くことができる。オレたちは坂の上にのぼり、つぎの町内にもぐりこむという「ファイトーいっぱあーつ」大作戦を立てた。
 しかし町内の人ははんてんを着ていて一目瞭然だ。市民に化けるには編み縄をもっていなければならない。たまたま2本の編み縄をもっている人がいたので、だめもとで声をかけた。
「あのう、その編み縄をお借りできませんか」
 ついに運命が微笑んだ。
「ああ、いいですよ」
 オレは2本の編み縄を借り、ふたりずつでわけた。さりげなくあいているところにもぐりこみ、本縄に縛りつける。よそ者とばれるんじゃないかと内心びくびくだ。行列が動き出すとみんなの関心が御柱に集中する。
 まさかまさか、本当に参加できるとは。いっしょに掛け声をあげ、引っ張る。じーんとうれしさがこみあげてくる。 
 なんじゃこりゃあ!
 木落としの坂は35度と聞いていたが、実際に坂の上から見下ろすと、とてつもない断崖絶壁である。恐ろしくて足が震えてくる。これじゃあ飛び降り自殺じゃないか、毎回死人が出るのも当然だ。いきなり初心者が参加するのは無謀だったかなと後悔するがもうおそい。
 町内の人たちと綱を引きながら坂を降りる。この段階で何人かが滑り落ちてしまう。オレは何回も尻もちをついたが必死で綱につかまった。引っ張るというより、1本に50人ずつぶら下がっているのが実情だ。
 完璧な青空に柱の突端が突き出してきた。
 いよいよ木落としがはじまる。
 体が震えてくるが、それをいっしょに手伝えるとは信じられない奇跡である。

 大歓声の中、黄色い服を着た引き子が威勢のいい掛け声をかけて引いていく。柱をつなぎとめていたロープが斧で切られる。大木が荒れ狂う竜に変身し、生と死の壁をすり抜けていく。男たちは日常の人間性を剥奪され、神の導き手となる。ガクンと地面にバウンドし、何人もがはじき飛ばされる。必死でしがみついていた者も柱が回転し、足をはさまれたり、綱に引きずられる者もいる。超特急で落下する柱が途中で急停車すると、狙っていた部外者が柱にまたがろうと殺到する。引き手は部外者の髪の毛を引っぱり、殴り、蹴り落とす。ふたたび乗り手がまたがり、坂の最後まで落下する。落ちてはのぼり、落ちてはのぼり、すさまじい修羅場である。うわっ、こっちに柱がむかってくる。まわりの引き手がパニックになり、悲鳴の中で何人かが押しつぶされる。

 刹那、半蔵がとんでもない行動に出た。
 無謀にも柱にさわろうと走っていったのだ。
 おおっ、さすがはもと自衛隊の特攻精神である。
 あと30センチのところまでたどりついた半蔵は必死に手を伸ばす。
「ざけんじゃねえ、小僧!」
 御柱を死守する氏子のキックが半蔵のほほにめりこむ。
 あ〜れ〜。

 80キロの巨体が土煙をあげて坂を転げ落ちていく様をオレはあっけにとられてながめていた。
 半蔵はフンコロガシのように遠く消えていったが、オレたちは大満足である。
 やはり祭りは見学するものでなく参加するものだ。地面に降りた御柱を見ると「木が神様になる」祭りを手伝えて最高に幸せだった。

 長野に住むネアリカン、みち&タカシと合流し、高遠町で夜桜を見て、鹿嶺(かれい)高原でキャンプした。焚き火を囲んでバーベキューする。
 満天の星だ。
 目のあたりに痣ができた半蔵もあの一瞬マンガのように星が見えたそうである。
 フンコロガシ半蔵の武勇伝は永遠に語り継がれるだろう。

10 april(sat)
7 planetary moon

 鹿嶺高原の頂上からは365度の眺めが堪能できる。南アルプス、北アルプス、中央アルプス、乗鞍岳、御岳、白銀の峰々が青空をバックに浮き上がるさまは幻想的である。
 さあ、今日は問題の「0磁場」へむかう。
 関節炎や全治1ヵ月の骨折が1週間で治ったり、全盲の人が見えるようになったという噂まであるヒーリングスポットだ。
 活断層が反対の極に引っ張られ磁場の均衡が0に保たれた場所で、磁石がくるくる回ったり、関節痛やさまざまな病気が直ったり、するそうである。
 村おこしで立てられた保養センターが手前にあるので寄ってみた。まずは「妙水」という温泉につかり、4階の瞑想センターを見学させてもらった。 この部屋は電気工学によって人口的に磁場0を作り出しているという。屋根の中央がピラミッド型になっていて怪しい雰囲気を醸しだしている。
 保養センターからさらに20分ほど山道を走っていくと分杭峠にでる。テレビなどで紹介されたせいか7、8台の車が止まっている。かなり危なそうな斜面にロープが張ってあり、崩れかけた階段がついている。
 降りていくと3人がけのベンチがあり、そのうえにも人が立てるスペースがある。10人ほどの人が瞑想したり、手のひらをまえに突き出したりしている。
 むむ、怪しい、怪しい、怪しいの大好き。
 先生と呼ばれていた気功師に話し掛けてみた。
「もう何度かお越しですか」
「ええ、今年に入って6回目です。冬の間は雪かきしてました。危険ですからね」
  気功師が言うには、数十センチ単位で磁場の強さが変わるという。
 おすすめポイントは3人掛けベンチの左端、
 その真上にある木の杭20センチ右、
 最上段にあるコンクリートの杭のあたり。
 オレはベンチのうえにしゃがみこみ、目を閉じた。
 まぶたの裏が赤く染まり、腹のあたりが暖まってくる。
 0磁場は赤外線こたつか。
 う〜ん、いいかも。
 プラシーボ効果にせよ、信じる者は救われん(救われんのか?)にせよ、金儲けや権力欲に利用されないかぎり、
 思いこみは力である。
 「ファイトーいっぱあーつ」な男組の野宿旅は熱血感動幕の内弁当大盛りであった。

13 april(tue)
10 planetary moon

 アマゾンひとり旅から無事帰ってきた友恵ちゃんからみんなへのお礼がきた。
 遠い異国でへこんだときに地球の裏側からきたメールはどれだけ励みになったことだろう。

 実家から昨日、札幌に着きました。報告のメールが遅くなってしまったことをちょっといいわけさせてもらうと、時差ぼけとお酒で浮遊した毎日をおくっていたから。そして、今回の旅行をまとめて言葉にするのがどうも難解すぎて手に負えなかったから。
 ペルーに行く前の自分と、向こうでの生活を送っていた自分と、帰ってきて長年見慣れた風景の中にあたりまえにいる今の自分がどうも一致しないんですよね・・・。どの自分が正解ってわけではないんだろうけど全ての自分に実感がないです。
 アキラさんの本を読んだこと、全てのはじまり。私の手をひっぱってあちこち連れまわしてくれた世界中のひと。しゃがみこみそうになっていると言葉で後ろから背中を押してくれた古くからの友人、新しい友人、家族。
 今日まで出会った全てのamigoに助けられ、導かれ、国境を超え、現実世界の壁をも飛び越えた一人団体旅行(意味不明かな?)。
 すごく勝手な思い込みかもしれないけど、自分は超ウルトラスーパーミラクルラッキーな人間だと思ってます。だってあまりにも多くの人たちが私の中を通って、お土産を置いていってくれるんだもん。ほんとにほんとにありがとう。

 ここからはアキラさんへ。


 そうかそうか、ここだけの秘密にしとくから、インターネットで世界にはっしーん!

 ほんとにアキラさんなしではできない旅でしたよ。ゴンザレスのときアキラさんがくれたメール、涙があふれてくるくらい嬉しかったし、どれだけ勇気付けられたかわかりません。今後もあの言葉は私の推進力になるよ。

 そのメールはこんな内容だ。

アヤワスカはいつもはじめに試練を与える。
オレがタイヤで殴られ金をとられたように。
そこで去っていくか、探求するかの人間をふりわけるのかもしれない。
それにしてもとんでもない試練を友恵ちゃんに与えたね。
ふつう最初からこれほどひどい試練に会う人はいない。
試練はその人の強さに応じて与えられるものだから。
友恵ちゃんはアヤワスカに選ばれているような気がする。
これを乗り越えたとき、友恵ちゃんは別人のように強くやさしくなっているはずだ。

 NYではトッシーさんや三宅旦那さんに昔のアキラさんの話をきかせてもらい、大笑いしました。詳しくは秘密。
 三宅さんは、アキラさんから私をNYで泊めて欲しいという話が来たときに、「ああ、あーぼーに影響されてペルーに行った子なんだろうなぁ」と予想していたらまさにそのとおりの私が来たといって、妙に納得しておられました。久しぶりにあーぼーに会いたいなぁとしきりに言っておられました。
 あと、父がアキラさんにメールしていたのも最近父に聞かされてかなりびっくりしました。ゴンザレスのことは親には知られたくなかったことだったから(過剰な心配をかけたくなかったから)父がアキラマニアをオンタイムで見ていたと知ったときは、気が動転して日本酒だとおもって焼酎をストレートでがぶ飲みしてしまったくらいです。
 アキラさんとどんなメールしたかを教えてよ、と父にいっても「アキラとパパの秘密」などと気持ち悪いことをいって教えてくれなかったけど、私に「アヤワスカ!」の本を送れと言ってました。いやはや親子ともどもお世話になりました。


 イランで人質になった日本人はまだ解放されない。
 オレも1988年にイラク・イラン戦争のイランで兵士に拘束されたことがある。ライフルをつきつきられたときは「ここで死ぬのか」と観念した。興奮してた兵士もいるが、タバコをくれた兵士もいた。
 幸運にも一晩で釈放されたから言えるのかもしれないが、兵士も人質も人間だった

 メールは届かなくても祈りはとどくかもしれない。
 人質へ、兵士へ、元凶であるアメリカへ、自分自身の所有欲に、
 アイヌ・ネノアン・アイヌ
 人間らしい人間に還ることを祈る。

14 april(wed)
11 planetary moon

 主人公やってる?
 自分の人生なのに、
 まわりばっか意識して、
 脇役にまわってない?

15 april(thu)
12 planetary moon

 ちょっとおもしろい研究が発表された。
 若い女の子は男を「見た目」で選び、経験を積んだ女性は男を「行動」で選ぶのだと。
 いやいや、人間の話ではない。アオアズマヤドリという鳥の研究である。
 オスは繁殖期に小枝で「スイートルーム」をつくる。花など青色の物でデコレートしてメスの気をひく。メスは「スイートルーム」のできばえとオスの求愛パフォーマンス(羽を広げたり、鳴いたりなど)を見て伴侶を選ぶ。
 アメリカ・メリーランド大学のS・コールマン・チームは、のべ116羽のメスと52羽のオスを2年間観察した。「スイートルーム」のデコレーションをわざと増やすと、繁殖期の経験がないか、1回だけのメスは60パーセント以上がデコレーションを増やした「スイートルーム」のオスを選んだ。しかし繁殖期を2回以上経験したメスは求愛パフォーマンスの活発なオスを選ぶようになった。
 高級マンションに住んでいるからとか、かっこいいからで男を選ぶと、あとで後悔するぞ。
 築80年でも、むさ苦しくても、男は「行動」で選びなさい。

 明日はラーメンズの公演「ペーパーランナー」だぜい。
 おっとムサクル兄弟片桐がモデルとできちゃった結婚したの知ってた?
 しかもウエディングドレスを着た奥さんのあまりの美しさに片桐が号泣しちゃったんだって。
 純情片桐、むっちゃ笑える。

17 april(sat)
14 planetary moon

  「PAPER RUNNER」はラーメンズの本公演とはちがい、片桐をはじめ7人の役者が出る。
 脚本と演出はもちろん小林賢太郎だ。漫画雑誌の編集室を舞台に、2転3転のドタバタ劇がくりひろげられる。破天候なフリー編集者役の片桐にも泣かせてもらったが、小林の脚本は完璧だ。
 ラーメンズのシュールさがないぶん、脚本家としての小林の才能には驚かされた。徹底したキャラクター設定と個性を生かしたギャグで笑わせ、片桐の純情で泣かせ、卓越したエンターテイメントに仕上がっている。
 なんかオレも演劇の脚本を書きたくなったが、それどころじゃない。小説「神の肉」が破竹の勢いで進んでいる。往復の列車でも書きつづけ今180ページ(原稿360枚)、あと50ページほどで完成だ。

 イラクで日本人の人質が全員解放された。
 友人ハコが言っていた未確認情報によると日本政府は30億円払ったそうである。人質の一人が「またイラクにもどってボランティアをつづけたい」という発言に小泉首相が怒ったらしい。
 「われわれの血税が身勝手なやつらに使われて」と、彼らを空港で歓迎する平和団体に右翼が攻撃をしかけるという噂もある。
 人質のひとりである安田さんの父は「ばかやろうと殴ってやりたい」と言っていた。無償の愛ならいいが、父親が教育された「日本の常識」で殴っても息子には通用しないだろう。
 国も親も過保護は次世代の成長を潰す。
 
 スペインの列車爆破テロについてのビンラディンのビデオもあやしい。
 白髪染めした偽フセインも、
 ペンタゴンに突っ込んだ飛行機の破片がないのも(ロケット弾だという説が有力)、
 すべては国家規模を超えたヤラセのような気がしてならない。
 感情だけで戦争を語るのは危険だ。
 理想だけを語り行動しない平和主義者も、
 正義だけを語り無知をさらすテレビのコメンテーターも、
 知識だけを語り「すべてはフリーメーソンの陰謀」と決めつける悲観主義者も、
 いつからか人々は世界の主役から降ろされ、モペット(操り人形)になっている。
 戦争をやめる道はひとつしかない。
 それは自衛隊の派遣でもなく、
 平和運動でもなく、
 環境保護でもなく、
 ひとりひとりが「主人公にもどる」ことだ。
 似合わない役割を演じて戦争を語るまえに、
 自分自身の人生の
主役をとりもどすんだ。
 すべての人に自分にしかできない役がある。
 理屈ではなく、
 心と
体の痛みをとおして世界を抱きしめるしかない。
 まるでラーメンズのように。(むりなオチ)

21 april(wed)
18 planetary moon

 小説「神の肉」が完成直前まできている。
 いつもは朝起きたら「今日はなにしようかな」と考える。
 イソップの「アリとキリギリス」な人生だ。
 経済的にはかなり「わりとギリギリっす」に追いつめられているが、歌をつくったり、絵を描いたり、ホームページの日記を更新しながら日々を送っていた。
 しかし最近は真っ先に机に飛びつく。
 書かずにいられない。
 家から一歩も出ずに、夜中すぎまで20時間近く書きつづけるのだ。
 完全なるひきこもり状態。
 小説家にとってひきこもりは、楽園
である。
 「パラダイム・シフト」(軸を移す)ではなく、「パラダイス・シフト」(お引っ越し)だ。
 自分の中軸を「生活」から「創作」に移動する革命でもある。
 オレの行動の優先順位は「好きなことからやる」(ショートケーキのイチゴから食う)だから、
 書くことが楽しくて、楽しくてしかたがない。
 ラーメンも温泉もスーパーマーケットも小説の敵ではないのだ。
 もう4日も風呂に入ってないし、100時間以上服も着替えてないや。
 髪の毛もスーパーサイヤジンというより、
 浅草の「スーパー山谷人」って感じ。

 おっ、明日はアースデイか。(ベープマット記念日)

22 april(thu)
19 planetary moon

 ハッピーアースデイ!
 ついに「神の肉 テオナナカトル」が完成したぜ。
 寝てねえし、食ってねえし、5日間風呂はいってねえし、亡霊ホームレス状態。
 マヤ暦を広めるホゼ・アグエイアスがはじめたアースデイ(地球を祝う日)に、マヤの遺跡があるメキシコの小説を書き上げたというのも、なにかのシンクロだろう。
 ノストラダムスのあいまいな預言とかとちがい、緻密な天体観測で終末を割り出したマヤ暦が終わるのが2012年12月22日だ。
 あと8年後に人類が滅亡してもいいように、マヤの遺跡を舞台にきっちり書ききった。
 もう思い残すことはなんもないよ。

24 april(sat)
21planetary moon

 「推敲伝」(「水滸伝」)の日々である。
 草稿(宗江)のもとに集まる108人の豪傑たちは誰もいなくて、オレひとり。
 自分の書いた文章を他人の目になって地ならしする。
 一冊の長編小説を終えた瞬間は、無罪放免になった容疑者の開放感がある。
 しかし推敲は、容疑者が裁判官に変身するのだ。
 自分で書いた答案を先生となって採点する。
 ひきこもりで作品を完成したあとは、相反する二重人格のせめぎ合いだ。
 このギャップ、わかる?
 今の段階は編集者とか介入してなくて、作者ひとりの煩悶である。
 最初の100ページは苦痛にのたうちまわりながら書いている。
 つぎの100ページはハイになったり、ローになったり迷いながら書いている。
 最後の50ページは思いっきり快感に酔いしれながら書いた。
 このバラバラな視点を読者の視点で統一する。
 作者と読者(神と人間つーか人間と神)というふたつの人格に引き裂かれる調停作業(ハーモニック・コンバージェンス
)だ。
 「酔敲」から、
 「素に移行」し、
 「遂敲」になる大切なプロセスだよね。
 推敲は、自分の人生を完遂し、死んだときに立ち会う「最後の審判」に似ている。
 さっ、囲碁の審判、
 白黒つけようじゃねえか。(おやじギャグの限界)

27 april(tue)
24 planetary moon

 今が何時だか、
 夜だか、
 昼だか、
 時間もない。
 肉体は指先だけがキーボードをたたいているのに、
 意識はメキシコにいる。 
 「推敲伝」の渦中。
 ひきこもりで、
 泣いたり、
 笑ったり、
 誰かに操られている。
 亡霊に書かされている。
 オレは死者の奴隷だ。
 強制された締め切りはない。
 だが、
 いそいでいる。
 なぜ、生き急ぐのか?
 なぜ、死に急ぐのか?
 生きているうちに伝えたいことがある。
 死んでも伝えたいことがある。
 自分が明日生きているなんて保証はない。
 これを今読んでる君だって、
 心臓発作で死んだオレの父親のように、
 明日目覚めたら、
 呼吸をしてる保証はないんだ。
 そんなにあせって、どうする?
 どうしようも
ない。
 いつも、いつも、
 今は、
 永遠に、
 0だから。
 地道に欠勤しなければ時給が50円上がるのか。
 上司の操り人形になってれば課長になれるのか。
 それはそれで本当にすばらしいことだ。
 君が本当に伝えたいことはなんだ?
 ブッシュの首をとることか。
 パレスチナで死んでいく子どもたちの無念か。
 それはそれで本当に大切なことだ。
 ちがう。
 オレが本当に伝えたいのは、
 もっともっと小さなことだ。
 とるに足らないささやかな人生だ。
 びっこを引きながらドーナツを揚げる母、
 一生をホテルの布団敷きで終わった父、
 フリダ・カルロもトロツキーも、ちっぽけだ。
 「神の肉 テオナナカトル」は、
 ちっぽけな、ちっぽけな、人生がテーマだ。
 本当は、
 それだけが書きたかったんだ。

28 april(wed)
25 planetary moon

 わしもとうとう「組長」になってしもうたわい。
 「おやっさん、わしのようなヒヨッコが組の回覧板しょうにゃあ貫禄不足じゃけん、ここは尻尾巻かしてくれんかのう」
「ワシら、美味いもん喰ろうて、マブいスケ抱くために生きてるんじゃないの? それもこれも組がなきゃできやせんので。 だからちゅうて、組のために体張るちゅうて 何が悪いの!?」
 戦後60年ー
 長年のみのりなき抗争に傷つき
 疲れ果てながらも稲荷町8組は
 今日も激しく皿で皿を洗う
「ササラモサラ(滅茶苦茶)にしちゃれい!」
 あーマジで気が重い。
 1年交代でまわってくる組長は、回覧板をまわし、月に一回組費と長寿会費を一軒一軒まわって集めなくてはいけない。
 昨日7軒の家をまわったのだが、ドレッドにひげ面の男の訪問にみんな驚いていた。
 その金を2軒の会計さんに届け、やっと終わったと思ったら、組のおじちゃんが入院したというので見舞金5000円を集めなくてはいけない。
 おまけに今日は役員会に徴収される。市民運動会の幹事なんかになったら最悪だ。
 しかも5月3日は東照宮の栗石返しという掃除にもいかなければならない。
 ゴールデンウイーク中に推敲を仕上げねばならんのに、蜘蛛の巣地獄じゃあ。
 もしオレの期間中に葬式とかあったらたいへんである。葬式を仕切らねばならないのだ。
 入院してるおじちゃんや86歳のおばあちゃんなど、みなさんの健康を心から願う。
 はじめて近所の家を訪問して思ったが、このシステムは悪く言うと「監視」、よく言うと「助け合い」である。
 老人たちの健康具合や、家庭に問題はないかなど、近所ぐるみでチェックするのだ。
 べてるの相互扶助やヨーロッパの「コ・ハウジング」にもつうずるコミュニケーションシステムである。
 と自分に納得させようとしても、めんどくせえー、やりたかねえー、組長似合わねえー。
 おまんら、戦争じゃけえのう!

全油絵作品を売りに出します

 価格表はこちらです。
 興味のある方はメールください。
 早い者勝ちです。

News

★ 「ケチャップ」(講談社)は6月に発売予定
★ 「神の肉 テオナナカトル」(めるくまーる)は7月に発売予定
★ 「
COTTON100%」(現代書林)は夏くらいに発売予定
 「ホームレスさんこんにちわ」(松島トモ子著。めるくまーる)の表紙を描いてます。
 「ポット・プラネット/マリワナ・カルチャーをめぐる冒険」(山川健一訳。太田出版)の解説を書いてます。
 ネアリカンの感想募集!
★ ネアリカの目次 Contents of Nearika

 「アヤワスカ!」の感想
 「風の子レラ」の感想