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イタリアの友人たちから極上のシシリアワインが送られてきた。
彼らがうちに滞在していたとき、日本のワインを味わってみようと500円くらいのマンズワインを買ってきた。
せっかく彼らが買ってきてくれたワインなので、オレはなにも言わなかった。
ソムリエのジャコモがオープナーを用意し、プラスチックカバーを開けてみると、ねじ式のキャップだった。
「コルクはどこだ」
ソムリエはキャップを開けてコルクを探している。おそらく彼の脳裏にはこんな言葉が浮かんだはずである。
「あれだけ美味しい日本食(この日のメニューはウナギのちらし寿司)を食べている民族だ。きっと中身は昨日飲んだ白竜のようにすばらしいだろう」
グラスにつぎゆっくりと回転させ、鼻を近づけたとたんソムリエは顔をしかめたが、勇気を出して一口すすった。
「こ、これはワインじゃない。実験室の化学薬品だ」
ソムリエは泣きそうな顔でキッチンに走り、なんども口をゆすいだ。
大きな夢と憧れを抱いてジパングにやってきた彼らをつぎつぎと試練が襲う。
イタリア人は無類のコーヒー好きである。彼らは自販機にならぶ缶コーヒーの種類に驚いた。
「オー、このバリエーション。さすがジャポネーゼはコーヒー通だ」
喜々としながらボタンを押し、ごろんと出てきたブルーマウンテンをごくりと飲みこむ。
「ん?」
オーナーシェフ・アルドは首をかしげながら自分の缶と自販機にならぶ缶を照合している。
「これはお湯か!」
缶入りのお湯など売っているわけないが、真剣にボタンを押しまちがえたと悩んでいる。深入りの芳醇なエスプレッソを毎日10杯近く飲んでいる彼らにとって、日本の缶コーヒーは「お湯」なのであった。
彼らの滞在2日目の夜にはタケちゃん夫婦もきていた。
タケちゃんの携帯が鳴り、「もしもし」とでる。イタリアでは「プロント(聞いて)」とでるが、「もしもし」という音は「疲れた人がいっぱいいる」という意味だそうだ。たしかにオレたちは2日間のチャンチキおけさで疲れていたしな。
ここからは彼らがノートに書き残してくれた「イタリア俗語辞典」(こんなもんばかり、ていねいに書き残しやがって)なので、淑女は厳禁、読まないでください。
これからイタリアへいくという紳士淑女は「絶対に言ってはならないイタリア語」として学習してください。
「そうか、そうか」
これも彼らには「せんずり、せんずり」と聞こえるという。Sega (セーガ = のこぎり)という意味である。
「プニェッタ」(ミラノ )。「ペシェ・イン・マノ」(=手の中の魚。ナポリ)とも言う。
イタリアに住む日本人のあいだでは有名な話だが、「磯野カツオ」はやばい。
Iio sono=私は〜です。「カッツォ」(=男性器)。
つまり「磯野カツオ」は、
「私はチンポです」になってしまうのだ。
戦前、日本の水泳五輪選手に高石勝男という人がイタリアに遠征したとき、観衆から「カッツォ、カッツォ」と大声援を受け、なぜ自分がこんなに人気があるのかわからなかったそうだ。ペペの本名は勝也なのでイタリアでは名字をつかっているし、「かずお」さんもファーストネームは避けたほうがいい。もし名字が「瀬賀」さんだったら、絶望的である。
イタリア大使に任命された瀬賀和男さんがタキシードを着て、外務大臣夫人の手に口づけて自己紹介する。
「わたしはせんずりチンポです」
くれぐれも瀬賀和男さんだけはイタリア大使に任命してはいけない。
念願のイタリア留学をはたした「加賀舞」さんが入学式のパーティーで自己紹介した。
「お会いできて本当にうれしいです。わたしは、絶対ウンコをしません」
Caga (カーガ )はウンコをするという動詞で、Mai (マイ) = never、絶対〜ないという意味だ。
くれぐれも加賀舞さんだけはイタリア留学をしてはいけない。
はじめてのイタリア旅行で列車のコンパートメントに乗り合わせた男性に「瀬野陽子」さんは自己紹介した。
「日本からきましたオッパイ・プレーです」
Seno [セーノ] = 女性の胸、ナポリ訛りでヨーコはgiocare = プレイする、遊ぶなのである。
くれぐれも瀬野陽子さんだけはイタリア旅行をしてはいけない。
「梶野」さんはご存じ「casino」(カジノ= 混乱、ムチャクチャな状況)だし、「須藤」さんも「わたしは汗をかく」(Sudo
= 動詞「sudare = 汗をかく」の1人称単数現在形)だし、「安藤」さんは「あの人は行った」である。
日本人にとってイタリアは地雷だらけ、危険がいっぱいだ。
とくに女性器の俗語には気をつけたほうがいいと唐草スーパーマンコンビが熱弁していたが、ローマ字で書き写すと検索でイタリアのポルノサイトから大量のメールがきてしまうのでカタカナで書く。
「フレーニャ」(ローマ)。
「プッキャーカ」(ナポリ)。
「ベリーニ」(ジェノバ)。
「トサ」(トスカーナ)。
「スティッキオ」(シシリア)。
「ニョッカ」(ヴェネツィア)。
ちなみに「FELLATIO」はラテン語であり、現代イタリア人は「ポンピーノ」(ポンプ仕事)というそうである。
ううむ、
ミラノを代表する老舗のシェフとソムリエが書き残していったものは秘伝のレシピではなく、下品極まりない「俗語辞典」であった。
俗語というものは時代とともに滅びゆくバブルのようなものである。
それを一字一字真剣に書き記す情熱は、オレという日本人に伝える意味はなんなのだ?
彼らはナポリの格言を教えてくれた。
A VITA E'NA BRIOSCE NA RAPUT E COSE NA MENATRE PESE E TUTTO
PERNESE
人生は、クロワッサンを開いて、魚をはさめば、すべて終わるんだ。
ブリオッシュはクロワッサンのようなパンであり、魚のフライをはさんだサンドイッチはナポリではもっともポピュラーな庶民食だ。
男尊女卑ととるには、あまりにもシンプルで深すぎる格言である。
オレはまだ、終わってはいない。
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