petit



1 feb(fri)
23 Resonant Moon


 の邪鬼主義「手抜き篇」ということで、かる〜くやっていきます。

 栃木県粟野町に住む大森芳紀さん(なんと22歳だぞ)は大麻繊維の復活をめざし和紙作りに成功した。
 粟野町は麻薬成分(THC)の少ない品種を開発し、全国生産量の99%近くを占める。戦後施行された大麻取締法によって栽培免許が必要になり、生産農家は激減した。日本の大麻は絶滅の危機にあるという。
 大麻は有史以前から人類と共生してきた。
 紀元前5世紀の歴史家ヘロドトスによると、「スキュタイ人はテントのなかに置かれた焼石のうえに大麻の種子を投げ、蒸し風呂を楽しんだ」という。
 モヘンジョダロの遺跡からも素焼きのパイプ「チロム」が出土しているし、これほど人間に貢献してきた植物も少ない。
 繊維、食用種子、油、薬としても重宝され、現在でも栽培に化学肥料が必要ない。
 マリファナの医学的安全性は完璧に証明されているにもかからず、「酒やタバコより危険だ」という誤解は根強い。実際にはお茶やコーヒー以上の害はないし、医学的な効用も高い。
 吐き気、喘息、緑内障、筋肉硬化症、白血病、ガンなどにも効果を上げている。
 マリファナはよほど初心者でもないかぎり、平和で幸せな気分にしてくれる。ボードレールはマリファナのトリップを3段階に分析し、もっとも高いレベルをこう描写している。
「これは東方の人々が絶対安息(キエフ)と呼ぶものだ。穏やかでじっと動かない至福状態である。すべての哲学的問題は解決されてしまう。理性を行使する人類を絶望させる問題のすべては、透明で明快なものになる。一切の矛盾は統合された。人間が神に移行したのだ」
 マリファナを解放したオランダでは喫茶店のメニューにのっているし、犯罪が減り、健全な市民生活に根づいている。
 もちろんオレは日本では吸わないが(警察署が目の前だし)、いつの日か確実に合法となるだろう。マリファナが違法なのは、それを受け入れない社会がゆがんでいるからだ。奴隷のように人をこき使い、戦争で儲ける社会では、平和の使者ともいうべきマリファナは邪魔だろう。
 「現代の常識」なんて、未来人のギャグネタにしかすぎない。

 はっ、しまた! プチなのに、またこんなに書いちゃったじゃないか。だから遠隔操作は禁止だっつーに。

2 feb(sat)
24 Resonant Moon

 午前中までかかって口ランディーさんとの対談のゲラを仕上げる。
 会話を文字にすると、けっこう間が抜けていておもしろい。
 「へえー」とか、「うん、うん」とか、「なるほど」とか、相づちまで速記の人は写し取っていたのか。
 この対談は2月22日発売の小説現代(講談社)にのるのでお楽しみに。

 さあ、これで出発前の仕事はすべてやり終えた。
 残り二日間はFreedom、Freedom。雨宮処凛ちゃんが送ってくれた新刊で読書三昧だ。
 「自殺のコスト」(太田出版)を一気読みしてしまった。それほどおもしろい。あらためて彼女の力量に脱毛した。
 「完全自殺マニュアル」と「アジアントランス 出神」を世に出した(ベストセラーと比べるなって)伝説の編集者落合さんと処凛ちゃんががっぷりとタッグを組んだ力作だ。
 表紙もすげえカッコイイし、内容の濃いこと濃いこと。自殺にかかるコストが膨大なデータから割り出されている。
 2000年の日本の自殺者は3万1957人、一日に87,6人、16分にひとりがが自殺してることになる。交通事故の3倍というのもびっくりした。
 日本人の「命の価値」は6千万から1億5千万円。
 資本主義の恐ろしさよ。こう数字で突きつけられると、びびってしまう。年収80万円のオレにそんな価値ないよ。
 飛び降り自殺はお好み焼きのように地面にはりつき、はがすのがたいへんだったり、割れた頭蓋骨をホチキスでとめ直すのに50万円もぼったくられたりする。つねに自殺方法のトップを譲らない首つりは、ウンコ垂れ流し、棺桶にはいったあとも首がそりかえったままだ。自殺では保険金がもらえないし、焼身自殺などで失敗した場合、医療費は全額負担なので5000万円も治療費がかかる。
 いちばんポピュラーな睡眠薬ハルシオンで死ぬには150万錠も飲まなければ致死量に達しないし、その購入費用は3千万円。ひえー無理だ。
 飛び降り自殺したカリスマ漫画家山田花子の父親へのインタビュー、飛び込み自殺で散らばった遺体をゴム手袋で拾い集める駅員、富士吉田市の財政を圧迫する樹海自殺も遺族は7年間で500万円ちかくも保険金を払いつづけなければならない、山での遭難や入水自殺でヘリコプターをチャーターする遺族は1時間50万から100万円かかる、引用していったらきりがないほど、現実に打ちのめされる。
 これを読んだら、死にたくなくなる。
 もう現代の「福音書」だ。
 自殺未遂常習者だった雨宮処凛は、キリでさえ想像できなかった方法で「生」の意味を問い直している。

 今夜は処凛ちゃんの小説「暴力恋愛」(講談社)に浸ろう。


3 feb(sun)
25 Resonant Moon


 ぶっつづけで「力恋愛」を読破した。
 「処凛ちゃんはいい小説家になるよ」と、オレがノセてしまった責任もあるが、猛烈にハマった。主人公みかの独白調ですべてが語られるため、読者はいやおうなしに引きずり込まれていく。
 恋人の達也を精神的に追いつめ、みかは体中が痣になるほどの暴力を日常的に受ける。

 達也君を私の欲望でむちゃくちゃに汚してやりたかった。

 みかは達也の精神を切り刻み、達也はみかの肉体を打ち据える。もうどちらが被害者で加害者かわからなくなる。
 傷つけあうことでしか確認しえない愛もあるのだ。
 物語は中盤から意外な展開を見せる。
 みかはオウム真理教を思わせる宗教団体に救いを求めた。しかし先輩のなにげないひと言で宗教逃避への道までが閉ざされる。
 オレの好きな場面だが、その帰り道、電車の中で仲のいい老夫婦が落としていったフエルトのミッキーマウスをみかは幸せの象徴として拾う。だが家に帰ったとたん汚らわしい気がしてごみ箱に捨てる。
 この不安定さが作品を振動させるのだ。孤独にひざを抱える少女の震える背中に触れるような危うさ、それが男を誘い込む罠というしたたかさ、女と男、作者と読者に痛みを共有させる作品だ。
 迷宮に踏み込む覚悟がないと、

 痛いに会う。

4 feb(mon)
26 Resonant Moon


 文学メルマにUpされた「Fireworks」をまとめて読み返した。
 自分で書いたはずなのに、詩のように削りこまれた文体とテーマへの求心力にびっくりした。
 作者が自画自賛しちゃいけないな。でも重度の健忘症であるオレは自分で書いた作品を憶えてないのだ。田口ランディーさんも同じことをいっていたな。
 はじめ山川健一さんから文学メルマに短編小説を依頼された。
 「セックスでもドラッグでもOKですよ」。でも「日記の凛太郎といった花火大会は、そのまま小説になりますよ」と言われ、安請け合いした。
 しかし書けない。
 まとまらない。
 フィクション(創作=小説)とノンフィクション(現実=日記)のあいだには、越えられない壁があるのだ。
 悩めば悩むほど溝は深まっていく。
 小説の決まりで、一人称か、三人称か、ふたつにひとつを選ばなくてはならない。
 ふたつの方法で書き直したが、だめだった。
 原稿料うんぬんじゃなく、納得できない作品をこの世に残したくはない。
 山川さんに「やっぱり書けませんでした」と断りのメールを2度ほどしたためた。送信スイッチを押そうとしたところに、妹が凛太郎の絵を届けてくれた。
 黒い紙の上に散らばった金や赤の折り紙を見た瞬間、なにかが変わった。
 まとめる必要はない。
 オレと凛太郎の決して融合しない視点をそのまま放りだせばいい。
 ふたりの1人称という矛盾した形式を受け入れる。
 気がつけば、干上がった砂漠に突如森があらわれた。
 「ゆだねる」というのは、オウム信者に見られるとおり、危険な行為だ。
 ただ麻原という生身の教祖や、イエス、エホバ、アラーという唯一神と、森羅万象のカムイに
 「ゆだねる」のではちがってくる。
 
 「ゆだねる」ベクトルが、単一化か、多様化にむかっているかでは、似ているようで正反対だ。
 自分をとりまく世界を全否定するか、全肯定するかの分かれ道だろう。

 明日朝8時の快速に乗らなければならない。午後3時15分にノースウエスト18便に乗る。
 オレのソウルメイトiBookももっていくことにした。
 日記も書けるし、メールもそのままやりとりできる。
 ニューヨークレポートは取材にかぶっちゃいけないんで、ちょろちょろ書くつもりだ。
 これじゃあニューヨークも日光も変わらないじゃん。実は日光温泉で「7年ぶりのだ」なんて書いてたりして。
 「さぶいぼ」(寒いイボ=鳥肌)
ギャグ飛ばしてないで、いってきま〜す!

5 feb(tue)
27 Resonant Moon


 電車を一本乗り遅れたが、無事田空港に着いた。
 昼飯を食おうとしたがどれも1000円クラス。そこで穴場の定食屋を紹介しよう。出発ロビー5階にある「スカイレストラン」は500円の定食がある。オレが食ったのは「アナゴの天ぷら定食」。二匹のアナゴ、巨大なかき揚げと春菊、サツマイモ、これらが揚げたての天ぷらで出てくる。ドンブリ飯とみそ汁とお新香もついているのだ。

 財布にはいっていた日本円を残らず両替した。窓口の職員がけげんそうに聞いた。
「計算したんですか?」
「いいえ、レートも知りませんよ」
「ぴったり賞ですよ。幸先がいいですね」
 今日のレートが1ドル135,20円で、オレが出した40560円でぴったりだ。

 飛行機のチェックが以上にきびしい。
 ナイフやハサミは持ち込み禁止、ライターも1個しか持ち込んじゃいけない。オレは3個を没収され、同意書にサインさせられた。

 飛行機で隣り合わせた中国系アメリカ人Peitiさんから面白い話を聞いた。
 彼女は、ロングアイランドに住む有名な霊媒師George Andersonに予約を入れた。予約がいっぱいで1年も待つことになる。
 彼女は数学の先生だし、精神世界にはまってるわけでもない。インチキを見破ってやろうと、カセットレコーダーまで用意した。
 待ちに待ったその日、妹とともに霊媒師を訪れた。14年前に死んだ父が霊媒師の口を借りて語りはじめた。
 妹(父にとっては次女)がとても心配だったという。35年前に母が死に、再婚した義母が妹を嫌い、妹は深いトラウマを負った。父はずっと、死んだあとまで気に病んでいたのだ。家族しか知らない秘密や死んだペットの数まで霊媒師は当てた。驚いたのは母が若い頃中絶したことまで知っていた。その赤ちゃんもふくめて、死者はみんなあの世で「バケーシ」をとっているのだという。そしてPeitiさんや妹のことを守っているんだって。
 二人とも泣き出し、1時間も両親との会話を楽しんだ。
「これを真実か真実じゃないかなんて問うのはナンセンスです。今までどんなセラピストでも治せなかった両親への憎しみが、きれいさっぱり感謝に変わったんですから」

 それにしても12時間かごの鳥は長いなあ。


6 feb(wed)
28 Resonant Moon

 飛行機はエンパイア・ステート・ビルディングにっ込まずに、無事JFK空港にすべりこんだ。
 乗客のあいだからは苦笑いとともに、皮肉気味の拍手が起こった。今回は税関で全部開けられるのを覚悟していたのに、以外にあっさり通してくれた。
 快晴、気温1度、さわやかな寒さに身が引き締まる。

7 feb(thu)
1 Galactic Moon

 昨晩は大なもてなしを受けた。
 去年からNYにもどって「My Chelsea」というレストラン(26丁目、6番街と7番街のあいだ)でシェフをしているKが豪華な創作料理をおごってくれたのだ。
 32時間眠らずに14時間の時差と戦い、倒れ伏した。

 さっそく今日は「ふるさと」巡礼。
 83年にオレがはじめて住みついたイーストヴィレッジにいった。再訪の感動と違和感は、言えねえ言えねえ、ここじゃ言えねえ。
 ジャンキー生活を送ったブルックリンを訪れた。その地下ロフトのまえをとおりすぎようとしたら、たまたま現在の住人が出てきて、中を見せてもらえる奇跡が起こった!
 だめ、だめなのよ。自分から誘いをかけて、いざというときに拒む女のようでごめんね。


8 feb(fri)
2 Galactic Moon


 マンハッタンは徒歩がしい。
 一日中6時間くらい歩く、歩かされてしまう、歩きたくなる。
 これだけ文化的密度が凝縮された街は世界でも例がないだろう。
 東京のように巨大拡散した都会とは対局にある形態だ。
 さまざまな人種にかこまれていると、ほっとする。
 ドレッドも変人もここでは浮かない。
 老人からじろじろ見られたり、小学生に指さされたり、女子高生にさけられたりすることもない。
 オレもここではリラックスして、観察される側から観察する側にまわれる。
 「腐ってもNY」
 この街は今も、世界の縮図だ。


9 feb(sat)
3 Galactic Moon

 熊本市の須藤さんから辺川ダムに関する最新情報が入りましたので紹介します。

 先日2月3日に川辺川の川漁師さんの有志の方主催のバスツアーに参加してきました。トータルにポイントを見て回ったのは初めてで、とてもいい経験でした。
 ダムの本体着工こそまだですが、ダム周辺の関連工事はどうだっとばかりに進んでいます。
 山の中に巨大なコンクリートの建造物がそびえているのは異様です。
 いくら反対しても、ダムは出来るんだぞ、と自らの力を誇示しているようでした。
 で、例の米田さんの土地、墓地の跡、椿の巨木を見ました。取り付け工事の資材運ぶ道でしょうか。その道路建設の中間にある土地が「米田さん」という方が8分の所有権を持っておられる土地にもかかわらず、工事が進み木が倒され更地になっていました。
 寄せ墓があったあとも墓は何者かによって持ち去られている。
 墓を守るように樹齢500年の椿の木が立っていました。椿の木の幹にはチェンソーの歯の跡が4箇所ほど。墓はどこかに持っていかれたとのことで、1基のみ残っていました。
 地面をよく見ると墓にお供えしていたのか、造花と水差しが半分土に埋まって。
 
 オオタカも見ました。多分オオタカだったと思います。営巣地の傍だったから。山にカゲが動いた、と感じて見てみると茶色のおおきな鳥がゆうゆうと大空を羽ばたいていました。悠然と風に乗り谷から山の頂上へ、そして又谷へ。

 五木村(ダム本体は相良村に出来るのですが、水没地は五木村)の代替地から水没地へ。
 峡谷の間の川辺川の川原にある猫の額と称されるくらいの土地が五木村の中心地。
 全て水没します。
 目の前に山が壁のように迫ってくる、という風景に圧倒されました。旦那衆と言われる人々(28人)が村の土地の殆どを占有しており村の人は旦那衆から土地を借りて家を作り、生活している、其れが今なお続いているというのが五木村。と教えてくれました。
 反対しようにも旦那衆の意向に逆らっては住めない。嫁さんの世話も就職の世話も旦那衆に頼る、他に生活の術はないから。村を捨てて出て行った人々はいま、何で生計をたてているのやら。
 川はきれいでした。
 カワニナがうじゃうじゃ。石ころをあげると石の下には小生物がいっぱい。ダム建設が前提の35年間だったから、川の護岸工事も道路拡幅も何もされていない。それがよかったか、人の手が入っていない川の美しさを改めて知りました。

 椿の巨木へ「よういきのこったなあ」と声をかけ、墓用の造花をひとところに集め、オオタカに感動し、カワニナの住む川に改めてダム建設の不当さ、理不尽さを感じた旅でした。官僚や権力者は、川上の人間には川下の人々のことを考えて、治水のために賛成してくれ、といい、川下の人間には、川上の人々の苦渋の選択を尊重してくれ、と言います。そのときそのときで、言葉を変える。そのたびに住民は振り回され人生を変えられ、歴史や文化を捨て去る事を強いられる。
 東京にいる扇大臣とか官僚に、あの悲しみや生き物が与えてくれる感動を理解するだけの感性が少しでもあれば、と思います。


10 feb(sun)
4 Galactic Moon


 「グランド」を見た。
 正確に言うと「ないもの」を見た。
 警官、工事人夫、クレーンやトラックの運転手、観光客、セント・ポール教会の柵に飾られた犠牲者の写真、花をとりかえにきた遺族。
 ちがう、ちがう、ぜんぜんちがう。
 ニュースで見た風景と寸分ちがいはないはずなのに。
 オレは今まで、なんと知ったかぶったふりをしてきたんだろう!
 現場へ立つと、圧倒的な違和感が押し寄せてくる。
 胸の中に凄まじい重量をもった火球が膨張し、
 完全に言葉をなくした。

11 feb(mon)
5 Galactic Moon


 いよいよシアトルからニューヨーク貿易センター跡地まで「広島の」を運ぶピースウォークがはじまった。予定では1月15日〜5月12日までの4カ月をかけてアメリカ大陸横断を徒歩で横断する。日本山妙法寺成田道場で出会った戦う尼さん安田純さんを中心にアメリカインディアンを代表するトム・ダストウさんやNYタイムスに平和の広告を載せたきくちゆみさんなども参加する。オープン・ジャパン(もと神戸元気村)のメンバーから届いた、初日参加報告のメールを紹介しよう。

 自由民権運動のマーチン・ルーサー・キング牧師の誕生日にあたる1月15日。この日シアトルは朝からどんよりした空模様で今にも雨が降りそうでした。ノリ・ハドルさん、きくちゆみさん一家とともに、港からフェリーに乗り郊外のベインブリッジ島まで30分。フェリーから降りて車で10分、シアトル市の名の由来にもなっている先住民族の聖地チーフ・シアトル墓地に着いたとき、大陸横断ピースウォークの出発式は始まっていました。地元テレビの取材チームがカメラを回していましたが、マスコミの扱いは静かなものでした。
 会場は墓地の一角、20m四方のなだらかな傾斜面、枯れた芝生が生えている。そこに100人余りの人が大きな輪を作っていました。これは世界中の先住民族の儀式や会合でよく見かけるスタイルです。遅れての参加なのでなるべく邪魔にならないようにそっと輪に加わると、髪の毛を頭の後ろで束ねた恰幅のいい男性が「暴力は暴力しか生み出さないことを忘れてはいけない」とあいさつをしていました。それがメンバーの代表の一人トム・ダストウさんでした。
 トム・ダストウさんはアメリカ先住民のリーダー的存在。1978年から合衆国在住の妙法寺尼僧・安田純さんとともに、東京から広島、長崎へのピースウォーク(2001年10月13日〜12月31日、<http://www.otsukimi.net/walk/> )と今回の大陸横断ピースウォーク(2002年1月15日〜5月12日、<http://www.dharmawalk.org/> )の実現に向けての企画で中心的役割を演じた人物です。
 さて、日本やアメリカ、そして世界中に平和をもたらす祈りを捧げるはずのそのピースウォークは9月11日の事件以降アメリカでの実現が危ぶまれていました。特に、原爆の残り火「広島の火」(福岡県星野村が管理しているものを分けてもらった)の輸送には幾多の困難が付きまとったとのこと。幸い、大勢の善意とたくさんの小さな奇跡のおかげで今日の実現の日を迎えました。そう安田純さんは語りました。(メキシコ上陸からアメリカへの輸送秘話は、島田啓介さんのメール便りで読めます。<jkeisuke@f4.dion.ne.jp> )
 トムさんと純さんの発言の後、埼玉県飯能市在住の音楽家、黒坂黒太郎さんが紹介されました。黒坂さんは広島で被爆したエノキで作った木製の笛「コカリナ」を演奏し、その優しい音色で出発を祝福しました。(被爆エノキのコカリナについて は<http://www.kocarina.net/hibaku.html> )
 5分ほどの準備の後、10時40分頃ピースウォークが始まりました。太鼓を叩きながら「ナンミョーホーレンゲーキョー」を唱えながら歩く日本山妙法寺の僧侶6人を先頭に総勢70人。参加届けなしの飛び入り参加は20人くらいでした。ノリ・ハドルさんと私も少々遅れて歩き始めました。子ども連れのきくちゆみさん一家は10マイル(16キロ)余りの行程の途中で合流する手筈を整えました。
コースは郊外の道、交通量は少なく緑の多いところなので歩きやすいというのが第
一印象。最初は最後列から150メートルほど遅れていましたが、日本で週末にやっているピースウォークより少し速い程度でしたから、5分くらいで難なく追いつきました。曇り気味で気温も低めでしたが、体はだんだん暖まってきました。列の後ろのほうには歩くのが苦手そうな当日参加者6〜7人がかたまりをつくっていました。とても気持ちのいい人たちで「当初は出発式だけ出るつもりだったけれど、平和を求めるポジティブできれいなエネルギーに誘われて急遽歩くことにした」と口々に言っていました。ただ、靴も歩くのには適したものではないので、30分(2キロ)くらい歩くと少しずつテンポの速まってきた先頭グループからは大きく遅れ始めました。その後ほどなく1人、2人と抜けていきました。
 その中に、フェリーで知り合ったリズさんとジュリーさんもいました。二人はとても優しい中年の修道女。リズの誕生日に何か気持ちのよいことがしたくなって、このピースウォークに参加することにしたそうです。ゆみさんが子ども連れで平和活動を続けていることに感動していましたが、別れ際に急に「これをゆみに渡してほしい。おばあちゃんの形見なの」と言って、首からネックレスをはずしたのです。「でもそんな大事なもの・・・」という私たちにジュリーさんは次のように言いました。「物は物でしかない。この形見に託されたおばあちゃんの気持ちはしっかり受けとめている。おばあちゃんへの私の気持ちはこれがなくても変わらない。今度は、これからゆみが子ども連れで歩んでいく平和への長い道のり、それを祝福する私の気持ちをこのネックレスに込めたいの。」
 ゆみさんは500メートル先の車の中でまなちゃんの世話をしていました。ネックレスを受け取り感動で涙を押さえきれずに子どもを抱きしめているゆみさんを後に、ノリさんと私は足早にウォークを続けました。途中で5分のトイレ休憩をした後はテンポが急に速まりました。夕暮れまでに目的地に着かなければならないからです。
 このピースウォークには "Indymedia"の記者アンディさんと"Yes Magazine"のカメラマン・リンダさんが参加取材していました。どちらもオルターナティブ系としては定評のあるメディアです。上っ面をなでるような取材ではなくて、自分自身も体験して内側から臨場感あるレポートを送りたい。また一般のメディアではまじめに取り上げられることがないから、全米規模、世界規模のネットワークがある自分たちがやらなければいけないんだと、使命感に燃えています。ただ、速いテンポに遅れないようにしながらの取材はかなり大変そうでした。アンディさんはフィリピン系のアメリカ人、ペルー人の血もちょっと入っているそうですが、私はてっきり日本人かと思い、目があったとき日本語で話しかけてしまいました。何年くらいこの仕事をやっているのかと聞くと、数年間はコンピュータ・プログラムの仕事をしていたけれど、世の中の動き、マスコミ報道に納得できず、半年前に記者になったばかりとのこと。その直後9.11事件が起こったので、研修もそこそこに第一線に放り出されたようです。そのほか、彼の身の上について話を聞いていましたが、「これじゃ、どっちがジャーナリストかわからないね」と大笑いになり、私がインタビューを受けることになりました。
 特に平和について日本人がどんなことを考えているのかと尋ねられたので次のように答えました。
「主力メディアで報道される偏った情報を信じている多くの人と、インターネット
を中心にそれ以外の情報を能動的に入手している人の間にかなり意識の差がある。でも、アフガン攻撃を避けられなかったと思い込まされている人でも、平和を強く求める心を秘めた人が多くいるので、流れがこれから変わっていく可能性はある。日本は平和憲法を持っているにもかかわらず、政府は米国への軍事支援を許す法律まで成立させ、今後に大きな問題を残している。」ここまで話したところで、憲法第9条が41ヶ国語でプリントされたスカーフを彼にプレゼントしました。これは「憲法9条を広める会」調布が企画販売しているもので、暮れのうちに大量に仕入れ、アメリカにはお みやげ用に20枚ほど持っていきました。数種類のデザイン・色があるので彼が好きそうなものを見繕って渡すと感激していました。(アンディさんによるレポートは、<http://portland.indymedia.org:8081/> で読むことができます)
 こうした会話の間、左側には30分ほど標高600〜700メートルの山々を遠くに望む内海が広がっていました。時折、雲間から薄日が覗くだけで、空気は冷たいのですが、体内には心地よく淡い疲労感と温もりが広がっていきました。そうこうするうちに、ノリさんから背の高い30歳前後の日本人男性を紹介されました。彼は埼玉県在住の藤根さん。糸から布地染色、洋服完成品までをトータルにデザインする、服飾デザイナーだそうですが、今回は5月12日までの全行程を歩き抜くためにやってきたとのこと。
 自分は平和運動といっても何ができるかもわからない。流暢に人を説得するアピール力もない。でも体を張って平和の願いを表現し、最後まで歩き通すことはできると思う。それを今のアメリカでやることに何か意義があるかもしれないと思って参加を決意した。藤根さんはこういった内容を言葉数少なくぽつりぽつりと話してくれました。もちろん、憲法第9条スカーフを彼にもプレゼントしました。
 さて、40代、50代の参加者が目立つ中、中高生6人が平均年齢をぐっと押し下げてくれましたが、アニーさん(15)はハワイの平和イベントで安田純さんと出会い、その穏やかで揺るぎない姿勢に感動し、このウォークに参加しようと決心したそうです。
 それから2週間あまりの間に、両親と学校を説得し、4ヶ月の行程すべてを歩くことを許されたのでした。「このウォークを歩ききった時、知識だけでなく人間的に大きくなっていると、私も家族も学校の先生も確信しています。お母さんも本当はいっしょに歩きたかったと、残念がっているくらいです。」理解のある周囲に見守られて、高校生にしてこんな経験ができるなんて幸せだなあと思いました。彼女はこの4ヶ月のかけがえのない体験を一生の糧にすることでしょう。(アニーさんの記事は<http://starbulletin.com/2002/01/12/features/story1.html> を参照)
 12時50分、ベインブリッジ島の軍人リクルートセンターの前に着き、参加者50名全員で輪が作られました。そこで平和の祈りが捧げられた後、初日ウォークのコーディネーター・ジェリーさんから、わずか2時間あまりで10キロ近く歩いてきたことが告げられました。そして、今日の参加者の自己紹介と抱負がアンディさんによって録音されました。(<http://sf.indymedia.org/uploads/1stdayintention.ram>で盛り上がっているその場の雰囲気を音として感じ取ってください)そして何という皮肉でしょ
う。軍人をリクルートするその建物のラウンジで平和を願うウォークの参加者が休憩と食事の場を提供してもらったのです。おにぎりや野菜・くだものを食べながら、いろいろな人としばしリラックスして歓談しました。全員にしっかりした一体感があるので、その場の雰囲気は疲れを癒してくれる不思議な力を持っているようでした。
 食事が終わり外に出てから、"Yes Magazine"のカメラマン・リンダさんが全員の集合写真を何枚も撮った後、1時30分ウォーク再開。アンディさんとリンダさんはしばらくの間、相互にインタビューをし合っていました。そうこうするうちに先頭の僧侶集団に追いついてしまった私は暇そうに見えたのでしょうか、突然、太鼓を渡され、なぜか太鼓を叩き「ナンミョーホーレンゲーキョー」を唱えながら歩く羽目になってしまいました。これがなかなか難しいのです。太鼓だけ、あるいはお経だけなら、比較的楽にできるのですが、両方をタイミング良く歩くテンポに合わせられるようになるまでには15分以上かかりました。しかも痛み始めた足で午前以上のペースを保ちながら歩かなければなりません。周りからも歩くのが辛いという不満の声がちらほら聞こえてきました。
 また、途中、けたたましい車の警笛や「パールハーバーを忘れられると思うのか」とか「こんな時に平和なんて卑怯なまねができるか」などという周りからの罵声に悩まされることもありました。かと思うと、逆に「平和の行進か。がんばれよな。」と応援してくれる人たちもいました。プラスの反応とマイナスの反応が2割ずつ、残りの6割は無関心というのが私の印象です。中には卵を投げつけてきた人もいましたが、誰にもあたりませんでした。概して予想したほどの妨害はなく、平穏のうちに歩き進むことができました。
 ゆみさんがまなちゃんを背負って合流してから30分ほど経った3時頃、ある軍事施設の前で10分の休憩が入りました。そこで、リンダさんにワインカラーの9条スカーフを見せて「この色が好きじゃないですか」と話しかけました。「私の好みの色がなぜわかったの」という彼女の質問には直接答えずに、平和憲法の話をして、スカーフをプレゼントすると、すごく感激され、抱きつかれてしまいました。ただ、テロ対策特別措置法について話すと、表情を曇らせて「違憲裁判は起こらないの?」と問い正してきました。「違憲問題について議論する動きは各地で広がりを見せているけれども、まだ違憲裁判を起こすところまでは至っていない。まだ準備段階だ。」と答えると「絶対にがんばってほしい。私もこんなにすばらしい憲法を世界にアピールする手伝いがしたい。」と励まされました。(その間、私は気付かなかったのですが、懐炉に入った広島の火の温もりを感じてもらおうと、懐炉が何人もの参加者に手渡されたそうです。)リンダさんは"Yes Magazine"のカメラマン・記者を務めるだけでなく、フリーライターとして取材・執筆活動も行っています。最近出たばかりの "GlobalUprising: Stories from a New Generation of Activists." はあまりに評判になり、たった3ヶ月で第2版が出されることになったそうです。世界中の平和・人権に関する活動家のインタビュー記録をまとめたノンフィクションですが、フィクションより心を揺さぶる内容だと言われています。(詳しくは<www.globaluprising.net>を参照)
 10分の休憩の後のウォークはきついものでした。人によっては強行軍そのものと感じて、「足の痛みを堪えながらなぜこんなに速く歩かなければいけないのか」と不平を漏らす人が後ろには何人もいたとアンディーさんがあとで教えてくれました。ちょうど同じ頃、私は最前列に近いところでお坊さんといっしょに相変わらず太鼓を叩きながら「ナンミョーホーレンゲーキョー」とやっていました。腕は疲れ、背中のリュックは肩にくい込み、足は靴擦れ。人と話す余裕はまったくない。それでも足は惰性で前に出ていくし、「ナンミョーホーレンゲーキョー」も体のどこからか出てくる。周りの世界は遠ざかり瞑想状態へどんどん入っていく。そしてお坊さんたちとの一体感を強く感じ始めました。ところがその次の瞬間、今度は逆に一種の違和感を感じました。急に自分の姿を外から眺めてしまい、この先頭集団が周りから切り離された異様な空間に感じられたのです。さきほどまであった後続集団との一体感も薄れていたし、今朝歩き始めたときに感じなかった仏教色のあまりの強さも気になりました。一歩一歩を踏みしめながら、意識を地球に向け、自分の内面と地球とを一体化させる「歩く瞑想」をする余裕がまったく失せているのも残念でした。
 空が少しずつ暗くなってきました。排気ガスがひどく気になるほど交通量が多くなりました。道の先を見ると、警備員が何人もいる物々しいゲートが見えました。近づくとそこが、米国全体が保有する核弾頭の何分の一かが配備されているバンガー海軍潜水艦基地の入り口でした。一同とても重々しい気持ちになりました。事前に連絡してあったことを警備員に告げ、ゲート脇に集まって祈りを捧げる許可をもらい、基地に向かって皆で平和の願いを送り込みました。もちろん先頭に立っているのは相変わらず日本山妙法寺のお坊さんがたでしたが、今度は十字架を切って祈りを捧げる人、ただ手を合わせて黙祷する人、何かの言葉を唱えている人と、形はさまざまでした。
 祈りは10分くらい続いたでしょうか。形はバラバラに見えるのに、平和を祈る気持ちで完全に一体化した、とても穏やかで力強いエネルギーが基地内に流れ込んでいくのが感じられました。それを見て、恥ずかしそうに逃げ去るような車があるかと思えば、スピードを落として興味深そうにゆっくり通り過ぎて行く車もありましたが、罵声に悩まされることはありませんでした。
 祈りが終わると住宅街を抜けて今日最後の半マイル。夕暮れぎりぎりで、今日の目的地の「非暴力行動のためのグラウンド・ゼロ・センター」(Ground Zero Center for Nonviolent Action)に着きました。最近、「グラウンド・ゼロ」という言葉は9.11で崩れ落ちたワールド・トレード・センター跡地を指すものとしてもっぱら使われますが、もともとは核爆弾で焼け野原になってしまったという、もっと恐ろしい場所を指すことばでした。冷戦時代、バンガー海軍潜水艦基地に配備された核ミサイルはソ連の数百カ所の軍事基地や大都市に向けられていました。また、ソ連側の数千に及ぶミサイルの多くはこの地に照準を合わせてあったとされます。「非暴力行動のためのグラウンド・ゼロ・センター」は1977年、バンガー海軍潜水艦基地に隣接した4エーカーの土地を買い取り設立され、全ての核爆弾の廃止と環境保護、究極の非暴力を実現することを目的に、具体的なアクションや広報啓蒙活動を続けています。
(詳しくは <http://www.gzcenter.org/> を参照)
 近年、米国とロシアの関係は改善されたと言われていますが、それでも相互に照準を合わせていることを否定できないのが現状です。また、それぞれ標的の数が増えて米国とロシア以外の国々へとシフトしているとも言われます。さらに、9.11事件以降暴力を不可避のものとして容認する風潮が強まっているのは周知の通りです。このような状況の下で、このセンターの果たす役目はますます大きくなっている、その意味で日本山妙法寺との協力関係が深まっていることは喜ばしく、アメリカ大陸横断の今回のピース・ウォークも心から応援したい。そのように、センター主催者が説明してくれました。
 最後に、安田純さんが今日のピースウォークの締め括りのことばを述べられましたが、その中で、ゆみさんと私がグローバル・ピース・キャンペーンのスタッフ代表として紹介されました。10月9日ニューヨーク・タイムズ紙の意見広告を皮切りに、11月11日のロサンジェルス・タイムズ紙、イタリアのスタンパ紙、ペルシャ語雑誌での意見広告へと広がり、現在はノリさんが中心になって「平和のためのグローバル・ストーリー」を世界中の人の協力で創り上げる企画を進めていることをゆみさんが説明しました。「平和を望む個々人の声がちょっとしたきっかけで束ねられると大きなうねりになる」と話すと大きな拍手が起こりました。
 それから「グラウンド・ゼロ・センター」内に招き入れられ、用意された菜食料理を食べながら和やかに歓談していると、あっという間に1時間経ってしまいました。ここでは国籍や宗教を越えて平和を求めるという同じ目的で一日歩き通した同志の間の一体感のようなものがしっかりと確認できました。食事の後、何人もの人が、もう立ち上がれないと思ったようです。食事もせずにしばらく床に横になっている人も一人ではありませんでした。でも今日はたった10マイルあまり、明日からは14〜15マイル歩くとのこと。慣れればそれほど大変ではないと経験者は皆言いますが、楽な行程ではないことは確かです。これから全行程を歩き抜こうとする20人近くの人に対して敬意を表したいと思うとともに、道中の安全を祈りました。
 7時過ぎ、ノリさんとゆみさん一家とともにフェリーまで戻りました。今日7時間かけて歩いたあの道のりも車だとたったの20分でした。そのあっけなさが、平和を壊すときの容易さを、そして7時間の行程が平和を築くときの地道な努力を象徴しているのではないか。寂しい船着き場の暗闇の中でフェリーを待ちながら、ふとそんなことを考えました。
(2002年節分。グローバルピースキャンペーン 今村 和宏)
追記)
1月16日以降、やはり嫌がらせを受けることもありましたが、盛大に歓迎されたり励まされたりする日もあり、2月2日現在、ピースウォークはオレゴン州を無事に進んでいるそうです。

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12 feb(tue)
6 Galactic Moon


 素樹文生は記に書いたのをそのままのせればいいと言ってくれるが、やっぱりやめとこう。原稿はもう14枚ほど仕上がっていて好調だ。
 旅から帰って書くよりも現地で書いたほうが臨場感がでる。
 従弟のトシは300ページの小説を仕上げたが、オレのアドバイスによって書き直している。大幅に加筆修正をしているので、ほとんど新作の同然だ。
 昼夜を問わず二人で競うようにパソコンにむかっている。
 トシのアパートはマックが4台とウインドウズが1台、オレが自分のマックまでもってきたからパソコンだらけだ。
 バカでかいテレビにはリモコンが5つもあって、「なんでスイッチ押してもテレビがつかないんだー!」つーくらい複雑だ。
 大きなリビングのほかにベッドルームが3つ、バスとトイレがふたつずつある。留守のときまで暖房がはいっているアメリカは、ぜいたくのしすぎだ。
 アメリカ人は、自然を恐れすぎている。

13 feb(wed)
7 Galactic Moon


 今度はトシの案内でグランド0(貿易センター跡地)へ。
「パークローの道を400メートルほど逃げてきたとき、音響とともにビルが崩壊し、ここから走り出したんだ。裁判所までセンター・ストリートを600メートルを巨大な煙と追いかけっこさ」
 やはり現場に立って本人から話を聞くと、あまりのリアルさに背筋が寒くなる。
 現場をデジタルビデオで撮影するトシを女性警官が制し、言い争いになる。日本から来た観光客にまちがわれたのだろう。
「見せ物じゃないのよ」警官が言う。
「べつにあんたを撮っているんじゃない」
「言い争いしてるひまなんかないのよ」
「おれはここのオフィスで……」トシは言いかけてやめ、捨てゼリフとともに立ち去った。
「ジャンク!」(クズめ!)


13 feb(wed)
7 Galactic Moon


 突然、トトチョフがんだ。
 パジャマのままこたつのよこに倒れ、息絶えていたという。
 急きょ、帰国便をさがす。

14 feb(thu)
8 Galactic Moon



永遠に追いつけぬ孤独な背中よ

肩甲骨の深い窪みには
ふれられぬ闇がある
脊髄のやせた幹には
手折られぬ意志がある
浮き出した肋骨が抱くのは
火だ

父よ
永遠に追いつけぬ孤独な背中よ

巨大な氷塊と化した女峰山の山頂へと
あなたは火を運びつづける
まつ毛は凍り
指やつま先がもげ落ちる
極めれば極めるほど
遠ざかる頂

父よ
永遠に追いつけぬ孤独な背中よ

ぼくはあなたの背中ばかりを見て育ってきた
ぼくが赤ちゃんのころ
おんぶしてもらうたびポマードとたばこの匂いがしたあなたの背中
ぼくが子どものころ
トヨタスーパーエイトの赤いスポーツカーを颯爽と運転するあなたの背中
ゲレンデを鮮やかに滑降するあなたの背中
酔って母を殴りつけるあなたの背中
妹を連れて去っていく母を見送るあなたの背中
母が入院したとき
抗ガン剤で抜け落ちた毛をガムテープで集めていたあなたの背中
母が死んだとき
いつまでも手足をこすりつづけていたあなたの背中
初孫の凛太郎が生まれたとき
直接命の重さにふれるのを怖れ 少しはなれてビデオ撮影していたあなたの背中
その繊細さを
不器用さを
誰も笑うことはできない

父よ
永遠に追いつけぬ孤独な背中よ

マイナス56度
高度10700メートルの空から
あなたを想う
魂と飛行機は
いったいどちらが高く飛んでいるのだろう
アラスカの雪原を見下ろすと
果てしなく白い大地を歩むあなたの背中が見える
霜の降りた毛皮は熊をも威嚇し
飢えた胃袋にはわずかな干し肉
引き留める愛情にも
つなぎ止める鎖にも従わず
あなたは歩む

どうしてあなたは愛よりも孤独を選ぶのか
どうしてあなたは人よりも山を愛するのか
母も
妹も
僕も
みんなあなたに愛してもらいたかった
もっともっとあなたに愛してもらいたかったのに

どうしてあなたは現実よりも夢を選ぶのか
どうしてあなたは家族よりも木々を愛するのか
母も
妹も
僕も
凛太郎も
周次郎も
みんなあなたを愛してあげたかった
もっともっとあなたを愛してあげたかったのに

あなたは穏やかなほほえみを残し
ひとりで去っていく

父よ
永遠に追いつけぬ孤独な背中よ

「パジャマを着て仰向けに倒れていた」
とお巡りさんは言った
最後の最後になって
あなたは背中を向けなかった
世界を丸ごと抱きしめたのだ
本当はあなたほど自然を愛した人はいない
本当はあなたほど人間を愛した人はいない
本当はあなたほど家族を愛した人はいない
本当はあなたほど友人を愛した人はいない
そしてみんなから愛された人はいないのだ

父よ
永遠に追いつけぬ孤独な背中よ

あなたは今みずからの旅を終え
女峰山の頂から我々を見守るカムイとなった
なつかしい母や祖父母とも再会し
神の国での生活をはじめるだろう
たとえ朝の玄米ご飯をいっしょに食べられなくても
たとえお風呂を沸かしてくれなくなっても
あなたはぼくたちといる
もう一度生まれ変われたら
またいっしょに人生をすごそう

父よ
永遠にぼくらを見守る孤高の背中よ

14 feb(thu)
8 Galactic Moon


 NYから朝11時(現地時間)のANAにトシとのり、14時間後の午後3時(日本時間)、成田空港に着した。
 新幹線をつかい、日光に着いたのが夜の8時だ。
 金色の刺繍布に包まれたトトチョフがいた。顔にかぶさった白いレースをとる。右のこめかみと目の下に殴られたような痣ができていた。
 いやはや、とんでもない犯罪小説だ。

 オレは父殺しの犯人として捜索されたのだ!

 13日、トトチョフが50年も働いていたホテルの現在のオーナーしんちゃんのところへ、十数年ぶりにもと従業員のぶちゃんが訪ねてきた。旧交を暖めあおうとトトチョフに電話した。
 ……話し中。
 時間をあけて何度電話しても、ずっと話し中だった。
 「どうせ明が長電話してるのだろう」と、直接迎えにいった。鍵のかかっていない玄関をあけて呼んでも応答がない。つぎのガラス戸をあけて、しんちゃんは凍りついた。
 両目を見開き、両拳を胸のところで合わせ、パジャマのまま仰向けにのけぞっているトトチョフを発見したのだ。
 あわててかけより、揺すぶった手首は、石のように冷たく、固まっていた。
「死んでる!」
 近くに住むオレの伯父(トシの父親であり、オレの母親の弟)を呼びに走った。
 現場を見た伯父としんちゃんは、家の目の前にある警察署に飛び込んだ。
 警察はトトチョフの顔面にできた痣を見て、「事件」だと判断した。
 同居していた息子が行方不明なのだ。
 警察は妹と連絡がとれた。
 同居人の息子はNYにいったが、いつ出発したのかがわからない。
 「父親殺し」のシナリオが完成した。
 警察はしんちゃんと伯父が口裏を合わせないよう別室へ何時間も監禁して、事情徴集する。
「被害者と息子の関係は良好でしたか?」

 それを救ったのがこの日記だ。
 オレがもし1月で日記をやめていたら、逮捕されていたはずだ。
 幼なじみや旧友を経由し、警察はこの日記でオレの出発日を特定する。おそらくアリバイ工作を懸念して、空港にも確認をとったのだろう。
 検視の結果から、トトチョフの死亡推定時刻は12日の午前。
 5日に出発したオレは、とっくにいないのだ。

 オレといっしょにこの茶番劇を聞かされたトシがつぶやいた。
「世界一自分の父親を愛してる人間が、いったいどうやったらトトチョフを殴り殺せるんだ?」

15 feb(fri)
9
Galactic Moon


 「主」
 唐突で、甘美な響きだ。
 君も突然、喪主になる。

 妹とその旦那かずやんが事務的なことをすべて肩代わりしてくれた。
 オレはかずやんと「喪主のあいさつ」を正式に原稿化したのに、アドリブでスピーチしたうえ、「父よ、永遠に追いつけぬ孤独の背中よ」を朗読してしまった。
 会場はオレの「父親殺し」事件で笑い、詩で泣きじゃくった。
 百戦錬磨の葬儀屋まで泣かせてしまったが、オレも必死だった。
 絶対泣きモードにはまるまいと、最後までこらえた。
 今まででいちばん困難なパフォーマンスだったかもしれない。

 「ドラマチックな人生」なんて、もうこりごりだ。
 君も突然、喪主になる。
 そして当然、「故人」になる。

16 feb(sat)
10 Galactic Moon


 葬儀と告式を終えた。
 1000度で焼かれたトトチョフの骨は美しかった。
 祭りの波はいっせいに引き、
 オレはたったひとりでこの家に残された。
 中央の居間には今日から49日間、祭壇がすえられる。
 トトチョフが生まれ育ち、最後の5年間をいっしょに暮らしてきたこの家に。
 早起きのトトチョフに合わせて、朝8時に朝食をつくらなくてもいい。
 まえの晩に玄米を水に浸さなくてもいい。
 自由だ。
 みぞおちの真ん中に開いた空洞を、祭りのざわめきが吹き抜けていく。
 明日朝目覚めても、ごはんを炊いて待つトトチョフはいない。
 「自由」ほど、心寒いものはない。

17 feb(sun)
11
Galactic Moon


 トトチョフの遺体を発見したしんちゃんが我が家を訪ねてきたのは3年ぶりのことだった。単純計算しても1095分の1日、それにトトチョフが死ぬ日の確率をかけ合わせたら天文学的な数字になる。
 「りえない偶然」だ。
 「ありえない偶然」を解くにはひとつだけ方法がある。
 「シンクロニシティー」、日本人が昔から「虫の知らせ」と呼ぶものだ。
 しんちゃんがトトチョフの遺体を発見した日は、しんちゃんの母親の命日だったのだ。
 それを聞かされたときは背中の産毛がゾゾーっと逆立った。
 同時にアイヌやインディオの言い伝えを確信した。
 「死者はいつでも生者を見守ってくれている」と。

18 feb(mon)
12 Galactic Moon


 に包まれたトトチョフの死が推理小説のようにほどかれていく。
 トトチョフは健康のかたまりだった。70歳をすぎてもスキーや山登りにいっていたし、70年間も病院にいったことのない人間がいるだろうか。
 トトチョフの病院嫌いは筋金入りだ。
 日光市がやっている年に一度の定期検診に誘った。
「トトチョフはヘビースモーカーなんだから、肺ガンの検査だけでも受ければ?」
「そんなの受けてガンとか言われたら、ピースが吸えなくなる。おれは好きなだけタバコ吸って、呼ばれたときにあの世へいくから検査なんぞいらない」
 頑固というより、ひょうひょうと話すんだよな。
 オレの頭を整理するのもかねて、さまざまな証言を並べてみる。

 2月5日(火)
 午前7時
 いつものようにオレがつくった朝食をいっしょに食べる。なにも変わったところはなかった。
 午前8時
 朝食後にオレはNYへむけて自宅を出る。トトチョフ最後の言葉はこうだ。
「忘れ物はないか?」
 オレはパスポートや財布をポケットのうえから確認し、家を出た。
 午後6時
 今市市郊外にあるショッピングモールの駐車場で、トトチョフの運転するマツダ・デミオが前に駐車してあった車に接触する。その車の主婦は買い物にいっていて、車に残された子どもがこう言う。
「前の車がぶつかって、ぼくの車が揺れたんだ。ぼく、ナンバーをおぼえたよ」
 主婦は今市警察署にナンバーを照会し、トトチョフの車だとわかった。
 オレと妹は、この時点でトトチョフに異常が起きていたんだと予測する。
 無事故無違反の典型的安全ドライバー、小心で真面目一本やりのトトチョフが相手の車に接触して逃げるわけわけがない。
 接触に気づかぬほど、トトチョフの「異常」ははじまっていたのかもしれない。
 その5分後
 トトチョフは急カーブのガードレールに突っ込む。かよい慣れた道だし、徐行もしていた。ガードレールは曲がり、トトチョフののるデミオはボンネットがゆがんだ。近くの修理工場がきて、車から出てくるトトチョフは右足を引きずっていたという。おそらく事故の影響だろう。修理工場のオーナーは「病院にいったほうがいいんじゃないですか」と言ったが、トトチョフは「だいじょうぶ」と答えたという。

 6日〜8日
 情報はない。

 9日(土)死の3日前
 夕方、近所のスーパー「さがみや」で、山岳会のメンバー守友さんと会話をかわす。いつもは笑顔であいさつするトトチョフが、「元気がなさそう」だったという。

 11日(水)死の前日
 午前中に回覧板が届けられ、トトチョフはあいさつを返したという。
 その後、ショッピングモールでコツンとあてられた主婦が示談金5万円をとりにトトチョフを訪ねた。そのとき、トトチョフが倒れた。主婦が「救急車を呼びますか?」と訊ねると、トトチョフは「だいじょうぶ」と答えたという。

 12日(火)
 朝、テレビをつけ、こたつはつけぬまま転倒。こたつのかどで右こめかみを殴打し、電話機が落ちる。
 おそらく心臓の発作で死亡。

 13日(水)
 夕方しんちゃんが電話しても話し中なので直接うちへくる。玄関を開けると、パジャマを着たまま仰向けに倒れ、両手を胸のところで握りしめ、目をかっと見開いて頭をのけ反らせたトトチョフを発見。しんちゃんが腕をつかんで揺すぶると、死後硬直のため全身が揺れた。
 オレの伯父輝美さんと警察に知らせる。
 「同居している息子はどこにいるんだ?」とオレに父親殺害容疑がかけられ、自宅立ち入り禁止のものものしい捜索と検死がおこなわれる。
 夜8時、電話やメールがかけめぐり、NYにいるオレのもとに訃報がとどく。ホームページの日記からオレの出発日がわかり、嫌疑が解かれる。

 14日(木)
 午後3時帰国。夜8時に帰宅。

 15日(金)
 通夜。喪主のあいさつで「父よ」を朗読。

 16日(土)
 葬儀。300人が集まる盛大な葬儀だった。

 おそらくトトチョフの体に異変が起きていたのだろう。50年間事故など起こしたことのないトトチョフが1日に2度も運転を誤るとはよほどのことだ。健康への過信も命取りになった。オレがそばにいてやれなかったのも悔やまれるが、ひとりでひっそりと死んでいくのもクールなトトチョフらしい。
 最後の5年間をいっしょに過ごせただけでもよかった。子どものころ受けたトラウマも消え、憎しみは愛情に変わり、「許すこと」を教わった。
 子どもは身勝手にも、親に完璧さを求める。しかし完璧な人間などいないように、完璧な親などひとりもいないのだ。その遺伝子をついでいる子どももしかり。似た者同士が、組んずほぐれつ、お互いを許し合っていく。
 それがオレたちに初期設定された「家族ゲーム」。
 勝者がいないことを先に気づいた、トトチョフの勝ちだ。

19 feb(tue)
13 Galactic Moon


 なんだか毎日しい。
 電気、水道、ガスなどの名義変更やら、トトチョフのはいっていた保険や銀行、クレジットカードの処理とか、苦手な事務手続きばっかりだ。おまけに納税の季節である。
 80年間も借りていたこの家を追いだされるかもしれないし、明日はどうなるかわからない。
 オレの人生風まかせ。
 まあ、いっかあ。

20 feb(wed)
14 Galactic Moon


 トシが明日早朝Yへ帰るので、タケちゃんに足尾温泉に連れてってもらった。
 快晴のブルーがたんぽぽ色に傾ぎ、
 逆行になった雪山のエッジを発光させる。
 藍色に沈む空に金星が針を刺し、
 星々が明度を競う。
 露天風呂の湯気を谷風が吹き払うとき、
 天上から降りそそぐ満天の星。
 命日からずっと、トトチョフはオレについてきている。
 慣習では49日までおとなしく家にこもれというが、
 市役所や保険会社にいくよりも、
 オレが遊んでるほうがトトチョフも楽しいはずだ。
 骨壷からトトチョフの骨をちょっとばかり盗んで、
 日光の山にまこうと思う。


21 feb(thu)
15 Galactic Moon


 山岸親子から手紙が着いた。
 密教の印と11歳になったヒロピーの版画がはいっていた。
 山岸親子の素敵さに大笑いした。
 笑っていると、目頭が少しだけ熱くなった。
 掲示板に書かれたヒロピーのメッセージと、作品を紹介しよう。
 AKIRAさん、
 今日、僕の版画作品
「UFO2002ハンバーガーの逆襲」を送りました。
 元気だしてね。
 僕も、ひいばあちゃんが死んで、遊びにいってもいないとかなりへこんだ。

22 feb(fri)
16 Galactic Moon


 茨城県牛久にある入国管理センターで、アフガン難民がそうとうどい扱いを受けている。7カ月もの監禁、非人間的扱い、大量の薬物投与、子どもふたりが自殺未遂を起こした。ハサミで自らの体を傷つけ、パジャマで首を吊り、反抗すれば睡眠薬で眠らされる。
 彼らはこう言う。
「私は日本が平和な国と思った。日本に来てからもすぐ収容された。
私だけじゃなくみんな毎日新しい病気になり、同じ薬を渡される。私は自分の国で命が危なかったから来たのに収容された。
UNHCRにも何回も電話し手紙も出したが、一回来てくれただけ。
人生がいらない。動物のようになった。
動物でも1日1回外に出る。犬も散歩する。
ここは毎日死ぬが、一回だけ死んだ方がよくはないだろうか」
 オーストラリアのアフガン難民たちは子どもたちもふくめ口を針で縫いあわせてハンガーストライキをしたが、昨年末に日本でハンガーストライキをした人たちは、「アフガン復興会議に重なると非常に外聞が悪い」ということで病院送りになった。
 2000年6月に違法入国しようとしたチュニジア人男性二人は、入国管理局の役員から顔面や体を殴るわ蹴るわの暴力を受け、その治療さえ拒否された。たまたまこの事件は空港警備員の告発によってマスコミに取り上げられたが、日本の違法入国者への非人道的な扱いは世界でも悪名高い。アメリカやヨーロッパに10年間も不法滞在したオレとしては、他人事とは思えないよな。しかも自国がいちばん酷いとは。
 1999年6月、日本も「拷問等禁止条約」にサインした。おそすぎるけど、117番目の締約国だ。
 近代国家日本に拷問など存在しないと思ってるだろ?
 ところがどっこい、日本の刑務所は欧米より50年も古い拷問システムが生きている。
 皮ベルトや手錠につながれ、一日中正座したまま視線も動かせない懲罰によって脳卒中で死亡したり、看守の暴力は日常茶飯事だ。
 法を犯さなきゃ関係ないと君は思うだろう。
 今回オレは「父親殺し」の犯人に仕立て上げられかけた。
 日本の警察はまずシナリオを決め、それに合った証拠を集めるというシステムを身をもって知った。
 最大23日間という取り調べ期間は国際水準からしても長すぎる。しかも司法の管理下に置かれないから弁護士は立ち会えないし、警察を管理するシステムさえない。
 そんななかで心理的肉体的拷問を23日間も受けたなら、誰でも「わたしがやりました」と言いたくなる。
 1945年以降、強制自白によって死刑判決を受けた被告が無罪を勝ち取った裁判が4件もある。いや、4件しかないといってもいいだろう。

 どんなささいなことでも「関係ない」で放っておくと、「明日は我が身」に降りかかってくるんだよな。

23 feb(sat)
17 Galactic Moon


 家を片づけていると、んでもないものが出てくる。
 祖父松吉の17歳の写真、トトチョフの子どものころの写真など。
 オレが生まれたときから松吉は老人だったし、トトチョフは大人だった。やつらに少年時代や青春時代があったなんて知らされてないぞ。
 午後の陽射しが降る部屋でセピア色にくすんだ写真を見つめていると、なんだかドキドキしてしまう。オレが知っているやつらの人生はほんの一部であって、「祖父」とか「父」という役割分担でしか見ていなかったことに気づいた。

 なんで今まで、こんなまちがいに気づかなかったのだろう!

 ギャンブラーの松吉もドメスティック・バイオレンスのトトチョフもオレと同じ「ひとりの人間」だ。少年時代も青春時代もある。それらの写真がオレに似ていたりする。
 ひとり残されたこの家で古い写真を整理しているとき、膨大な時間の津波が押し寄せてきた。
 小さい、
 小さい、
 小さい、
 人の一生とは、なんて小さいものなんだ。
 足利銀行から毎年もらう手帖には、トトチョフの小さな文字が書き連ねてある。今日の走行距離、ガソリン代、スーパーでの買い物、ふと8月19日のページから「明23歳」を見つけ、ほかの手帖にもオレの誕生日に年齢が書いてあった。
 無関心さを装いながらも、オレが成長していく年齢を毎年手帖に書き記していた。
 急に涙があふれてきた。
 埃だらけのフリースの袖でぬぐっても、ぬぐっても、止まらなかった。
 小さい、
 小さい、
 小さい、
 人の一生とは、なんて小さいものなんだ。
 だからこそ、生きる価値がある。


24 feb(sun)
18 Galactic Moon


 講談社の木さんがわざわざ線香をあげにきてくれた。
 以前オレといった霧降高原メルモンテの温泉が気に入ったらしく奥さんと娘を連れて日光にきたのだ。
 はじめは照れていた花ちゃんは、幼稚園で発表するミュージカル「野菜の国の王子様」を見せてくれた。
「レタスはふわふわスカートで、シャキシャキシャキっと踊ります」
 両手を広げ、くるくる踊る花ちゃん。
「ちょっぴり照れ屋のトマトさん、真っ赤なほっぺで歌います」
 終いにはかすれるほど元気な声で、ニコニコ歌う花ちゃん。
「いつでも泣き虫タマネギ坊や、ママがいるからだいじょうぶ」
 玄関からの逆光を受けて、幼いシルエットが舞う。
 わけもなく幸福感につつまれた。
 背筋のあたりから喜びの粒子がつきあげ、首筋をくすぐって、後頭部あたりで爆発する。花火のように煌めきながら胸のあたりまで降ってきた。
 本当の幸福はさりげない日常に宿っている。
 ラストは野菜の国にマヨネーズの魔法使いがあらわれて、みんなが美味しく食べられるというシュールなストーリーだ。
 子どもは人を幸せにする魔法を知っている。

25 feb(mon)
19 Galactic Moon


 太鼓を学ぶためフリカにいっていた竜二(25歳?)が帰国し、日光へやってきた。
 西アフリカのギニア、マリ、ブルキナファッソで9カ月をすごすのだが、早くも1カ月でマラリアに倒れる。雨期にはトイレの壁が真っ黒になるくらいハマダラ蚊で埋め尽くされる。高熱で意識を失い、両腕をアフリカ人に抱えられて入院する。なんとか命はとりとめたものの、一週間後にマラリアが再発する。しかも盲腸と併発というダブルパンチだ。
 やっと退院した2週間後に大量のダニに襲われる。全身を狂ったように掻きむしり、傷跡が黄色く膿んでいく。
 アフリカでは医者よりもまず呪術師(シャーマン)に相談する。呪術師は12個の宝貝をころがし、原因を占った。竜二がケンカ別れした太鼓の先生から呪いがかけられているという。
 後日、呪術師は薬草から抽出した液体を竜二にわたし、こう指示した。
「液体は必ず上から下に塗ること。絶対に下から上に塗ってはいけない」
 順調に傷は治っていったが、気を抜いたとき1度だけ下から上に塗ってしまった。そこは尻の部分で、痛みとともに急に腫れ上がり、仰向けに寝ることができなくなった。はじめは呪術師の指示などバカにしていた竜二だが、信じざるを得なくなったという。
 べつの呪術師の娘につきまとわれ、何度追い返してももどってきてしまう。ある日娘の腕にヘナで描いた模様がつけられていた。それを見た瞬間、竜二は急に娘が好きになり、結婚までも決意する。しかし最後には託した荷物をすべて娘に盗まれてしまう。あとでわかったのだが、娘の腕の模様は「相手を惚れさせる」特別の魔法だった。
 オレもセネガルやガンビアなどで経験しているが、アフリカにはシャーマニズムの世界が日常に生きている。
 竜二と霧降高原にある温泉にいったが、全身に悲惨な傷跡が残っていた。
 それはとりもなおさず、きびしい旅をくぐりぬけてきた男の勲章でもある。

26 feb(tue)
20 Galactic Moon


 18年間アメリカのニューメキシコ州に住んでいたsumiさんという方からメールがきた。
 sumiさんはニューメキシコ大学で博士号をとり、テキサスやニューメキシコの大学で文化人類学を教え、8ヶ月前に日本へ帰国したという。田口ランディ−さんのメルマガで「アヤワスカ!」を知り、感想を送ってくれた。
 sumiさんは、1995年にニューメキシコ北部の山の中でアヤワスカを体験した。
 そのときのシャーマンがDrゴンザレス、なんとオレがペルーのタラポトでセッションを受けたのと同一人物なのだ。
 Drゴンザレスは現代的知識と伝統的知恵を合わせ持ったすばらしいシャーマンだ。
 「聖なる量子力学9つの旅」(徳間書店)という本にも紹介されているし、一ヶ月ほど前、「今『アヤワスカ!』をもってペルーにいます。いいシャーマンを教えてください」という読者のメールにもDrゴンザレスを勧めた。
 このような縁も、アヤワスカの導きかもしれない。
 関係ないが、sumiさんとオレの誕生日は1日ちがいである。

27 feb(wed)
21 Galactic Moon

full moon


 残念ながら月は見えない。
 本来なら今日の夕方、成田に到着しているはずだった。
 この2週間さまざまなことがあったが、さらに不思議な出来事が起こった。
 「アヤワスカ!」の編集者綾木さんのところに、講談社インターナショナルという関連会社から電話があった。翻訳の話でも持ち上がったのかといぶかりながら受話器をとる。
「わたくし、藤本みどりの兄です」
 綾木さんは記憶をたどる。
「80歳を越える母がAKIRAさんの書かれた『アヤワスカ!』と読んでとても喜んでいます。お礼や感想をつづった手紙を送りたいのでAKIRAさんの住所を教えていただけないでしょうか」
 思いがけぬ話に、全身が総毛立ったという。

 藤本みどりさんはペルーのタラポトにある麻薬患者のリハビリセンターで禅を教え、40回にも及ぶアヤワスカのセッションに参加した。1997年悪性リンパ腫によって他界する。
 死の2年後に出版された遺稿集「アヤワスカ」を読み、オレはアマゾン行きを決意する。タラポトでは偶然にもみどりさんが最も親しくしていた日系人家族と知りあい、彼女の死を告げることになった。
 ジャングルのセッションでみどりさんが現れ、オレははじめて死者と語り合う。
「あなたならもっと遠くへ行けるわ」というみどりさんの励ましに支えられ、オレは意識のジャングルへと踏み込んでいく。

 オレの「アヤワスカ!」という題名も、みどりさんの「アヤワスカ」を受け継ぎ深化させたという意味合いもある。みどりさんが死によって果たせなかった夢を引き継いだのが、オレの旅であり本だ。
 今度はオレが書いた本をみどりさんの母親が読み、手紙をくれるとは。
 「アヤワスカ!」を読んだ人にはわかると思うが、世界は見えない蜘蛛の巣のような情報網でつながっているのかもしれない。死者は生者を見守り、さまざまな出会いを用意してくれる。
 みどりさん、ムーチョス・グラッシャス(どうもありがとう)。トトチョフにもブエナ・ヴィヴィータ・セグンダ(楽しい第2の人生を)。

28 feb(thu)
22 Galactic Moon


 熊本の須藤さんから辺川ダムの最新情報が届けられたので、紹介します。

 24日に国土交通省主催の「第二回公開討論会」が、26日は球磨川漁協の総代会、今日27日は強制収用の収用委員会が開かれ、反対派の漁師、市民は息つく暇もなく毎日毎日戦いに挑んでいます。
 詳しいご報告はまた行いますが、「ダム建設の正当性を県民に説明する義務が国にはある」という潮谷県知事の発言で始まった公開討論会ですが、国土交通省は何一つ説明しようとしません。「・・・は妥当と考えます」でおしまい。
 私達としてはその妥当の根拠を知りたいのに、情報は握りこんだままで素人はわからんでしょ、といわんばかりの内容。
 当日は野次と怒号が入り乱れた会場でした。反対派も進行のまずさもあり、獲得できたことと次回への持ち越し事項などの未整理のまま終了。
 山のような積み残しでした。とはいうものの国の姿勢、反対派の根拠、情報未公開の国の姿勢・・・が明らかになりました。

 球磨川漁協の定例総代会も、主たる議題は新規組合員加入のこと。(過去二回にわたって補償案が否決されており、推進派としては今年5月の総会を視野にいれて、漁業権の放棄を可決させたいという狙い)
 昨年に比べ20倍強の組合員の増加があり、土建業者が家族ぐるみで加入した例とか、農業従事者の加入とか、名前だけでも貸してとかの実体が明らかになり、組合加入の漁協の審査が差し戻しになりました。
 なりふりかまわない今の幹部のやり方が、多くの人の目にも明らかになり川辺川の問題は公共事業のありよう、ムネオハウスに代表される政治家とゼネコンと官僚との癒着や、税金を還流させる公共事業・・・を端的に表す例です。今後の予断は許せませんし、甘くもみることはできませんが動いているということは感じます。

※くわしくは「清流川辺川を守る県民の会」のホームページをぜひ見てください。

 熊本県知事「ようこそ知事室 〜提言の送付〜」
http://www.pref.kumamoto.jp/governor/links/mail/meil.html
 小泉首相の首相官邸
http://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html
 国土交通省河川局
http://www.mlit.go.jp/river/question/index.html


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